2008年6月30日月曜日

宗教とオカルト、共産主義

宗教とは共産主義的である。多神教も一神教も含めてである(ティリッヒが言うようにマルクス主義もある種の宗教と言える)。
一神教は神を共有する、多神教は神々に共有される。
この「神の共有」(神話の共有と違うが)が今までどうやってされきたかと言うと、
偶像や聖書だった。共産主義で言えばレーニンのミイラ、銅像、共産党宣言や毛沢東語録だろう(一国(One country)や一つの党(一前衛党)等を大々的に掲げたのはスターリンであるが、それを事実上つくりあげたのは言うまでも無くレーニンである(一国二制度のように今日でも見られる))。
多神教は一即多・多即一を説く。実はこの多と一こそ共産主義の神髄である。ネグリが言う「単一」と「マルチチュード」である。一が多を有すること、多が一を有することを共有と呼ぶ。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」である(これは三銃士の言葉で協同組合運動に転用されたらしく、「共産主義的信条」で知られるカベやマルクス等がスローガンとして愛用したという)。複数の化身=同位体を持ちながら一つの意識を共有するのだ。禅や瞑想によって得られる梵我一如も神との記憶の共有だ。共有に近づく時間とイデア論とも関係あるだろう。共産主義の歴史が一夫一妻制と敵対してきたこととも関係がある。 プロレタリアートとは子供しか財産を持たないものを言う。神とは超越的プロレタリアートである。神の財産は万物という「子」だけである。そして神の前であらゆるものが平等であり、無所有(プロレタリア)である、あるいは神から所有権を与えられた。マルクスがシュティルナーの唯一者に影響を受けつつ、批判したのはその小市民性だ(エゴイストの連合)。バウアーの自己意識を批判したのはその神秘主義である(唯物論の立場から人間は共同的動物、世界は集合)。アブラハムの宗教は契約から始まった。神はアブラハムとその子孫(広義のアブラハムの子孫)に永久の共有地を与えたのだ。イエスも財産を共有するエッセネ派にいたと言われる。共産制にどうして超越者や独裁が生まれやすいのか。それを解く鍵はカーゴカルトにある。カーゴカルトは財産を極端にまで共有し合うメラネシアに見られる現象だが、実際はどこの先史時代でもある。原始共産制は必然的に「万物は神からの贈り物」であるという考えが根底にある。「贈与」と絡めたら興味深い。そこでは自然崇拝があった。これが後期だと「神からの贈り者」ということで神官や王、メシアが生まれた。古代シュメールもHenri Frankfortによると「神権政治の共産主義」だった(「いや人民民主主義だ」という異論もあるが、どれでもよかろう)。だから原始民主制をディヤコノフやソ連の学者が共感したのだ。ソ連が支持するのもその背景にイデオロギーがあるからだろう。マヤやメディア王国は原始共産制だったし、インカもエジプトもそれっぽかった。そういえばアトランティスの頃のギリシャも共産制だった(だからアトランティスが実在するとソ連の学者が言ったのだ)。これに似た社会システムが各国で見られる(アジアでは太平天国とか)。現代でもカーゴカルト的要素がいくつも見られる。資本主義もカーゴ・カルト的であり、貨幣や商品に対する崇拝がある。 UFOやオーパーツや教祖様を崇拝するカルトも共産制に似た生活をする。マルクス主義の唯物論も資本主義の商品崇拝と違った物活説の典型と言われる。技術や経済、物質文明に超越的価値を置き、定向進化すると。 マルクスもプラトン以来の古代共産主義に根深い形而上学的カーゴカルト的要素を超克しようとしたが、憑き物信仰に陥った。 カーゴカルトも宗教の唯物論的一面である。つまり、内部ではなく、外部性があるのだ。そして私が言いたいのは神秘主義も共産主義に必然的に結びつくということだ。オカルトと社会主義の関係もシャルル・フーリエのころからある。ここから「オカルティズムの父」レヴィや「シュルレアリスムの父」ブルトン、スウェーデンボリと繋がっていく。霊的交感(Communion)やテレパシー(精神の共有、思考の共有)、共時性、霊媒が共産主義と親和性を持つからだ。これらの研究にあの旧ソ連が熱心だったのも興味深い。建神主義の流れを汲むものだろう。宇宙人の社会が共産主義社会であると言ったのもソ連の学者だった。神智学協会のベザント会長がどうしてマルクスの娘と親しくマルクス主義の政党にいたか、グルジェフとスターリンが知り合いだったという話があるか、東方聖堂騎士団のテオドール・ロイスがどうしてマルクスの娘と親しく共産主義の組織にいたか、オカルティストにどうしてプラトン主義者が多いか。どうしてイルミナティやテンプル騎士団などの秘密結社やアメリカの西海岸のヒッピーがコミューンや共産制を敷いたか(彼らは大恐慌ならぬ大災害を予言し、都市の水没化(大洪水)や地平線化(核の跡)、箱舟とシェルターで財産の共有と平等を実現しようとした、これは言うまでも無く革命的敗北主義のパロディである)、共産主義との関わりはもっと深いだろう。そういえばカート・ヴォネガットが占星術も手相術もコミュニズムだと言っていた。日本でも原始共産制にシンパシーを持った著名な宗教学者は多いし、オカルト業界の超カリスマであるT田氏も元共産主義者同盟の人であるらしい。ちなみに私は元トンデモウォッチャーだが、今や大槻義彦並の懐疑主義者である。浅田彰と坂本龍一が総括したようにオカルティズムは危険思想である。人民寺院やオウムという最悪の帰結を招いた。高橋信次がマルクスの言葉を正しいとしたように宗教は阿片の可能性もあるのだ。しかし、仏教でもキリスト教でもマルキシズムと結ばれるのが宗教にとってもよい道だろう。

2008年6月23日月曜日

ペンタグラム

赤い星の起源は赤軍のブリキの星にあるらしい。アメリカのWikiではマルクス・エンゲルスが考案したとあるが。金槌を持つプロレタリアの手の五本の指と世界の五大陸、あるいは五惑星を表すとか。メソポタミア(ウルク)や古代エジプト(第一王朝)のシンボルでもあった(古代中国の五帝五行五星思想とも関係あるらしいが。漢字の「大」が五芒星が変体したものとか?)。エジプトでは「子宮」をあらわしたという。シュメールであると逆さの星が「穴」をあらわしたという。女神を象徴することが多い。ということはエジプトのピラミッド形(男性器)とメソポタミアの逆五芒星の変体(女性器)が六芒星であろうか。アメリカとソ連、エジプト・イエメン・シリア・イラク・トルコの国旗にもある。ソ連の赤い星(Red Star)と黄金の星(Gold Star)、色から考えても肥沃な三日月地帯が正解であろう。以前のソビエト宮殿とバベルの塔とバラド=ドゥアでも述べたが、ソ連のアフロ・アジア的起源もあるかもしれまい。レーニン廟もエジプトのジェセル王の階段ピラミッドをモチーフにしているという。ソビエト宮殿もシュメールのジグラット、旧約聖書の言うバベルの塔をモデルにしてい。元々ヘブライ人はチグリス・ユーフラテス川から渡来した者を指すのである。エジプトで王朝をつくり、一定の宗教的影響を与え、バビロニア・セム系の姓名が多かった。数秘学的に見ると五芒星をシンボルに掲げ、原始共産制を信奉したピタゴラスが前世でその息子だったとされるヘルメスの「母」マイアのメーデー(五月の日)の5月1日とマルクスの誕生日5月5日とも関係ありそうだ。さらにメーデーの起源とされるストライキをした組合の黒幕がユダヤ人のゴンパースという。イルミナティが結成された時でもある。そしてヴァルプルギスの夜だ。ヴァルプルギスはファウストの饗宴を思い起こすが、私有財産に落書きしたり悪戯したりすることで知られる。実はメフィストフェレスに魂を渡すファウストは究極まで私有財産(魂の所有まで)を棄てた共産主義者の模範だとか。だからイルミナティのメンバーでマイスターの共同生活を理想としたゲーテが最後に神に救われたとしたとか。 フリーメーソンも五芒星と工具がシンボルである。ダヴィデでは無く、ソロモンと関係あるとか。スターリンの五カ年計画や中国の五星紅旗とも無縁じゃないだろう。黄色と赤毛といえばユダである。これらがユダヤ教の星を暗示しているシンボルであればキリスト教の十字を暗示するシンボルもあるであろう。

2008年6月17日火曜日

R.U.R.

カレル・チャペック
千野栄一 訳
2003 岩波書店
感想としてはよかった。原題は「ロッサム万能ロボット会社」。ロボットという言葉がスラヴ語系にあり、「強制労働者」を意味し、RURがロシア革命やその余波の影響を受けて書かれたのは明白だ。「同志」(Comrade)という言葉やロボットを代表する「中央委員会」も諷刺がきいている。ロボットを人類の工作によって民族間や内ゲバで争わせてロボットの連邦の一枚岩を瓦解させようと登場人物が言うところも聖書やロシアの情勢を思い起こす。そしてことの原因とされているのもチャペックが嫌った唯物論の権化、作中で「根っからの唯物論者」とされているロッサム老人だった。チャペック自身が述べているようにこれは社会主義小説ともとらえらるのも必ずしも間違っていないが、1924年には「私はなぜ共産主義者じゃないか」(Why I am not a Communist)とか書いてちゃんとマルクス主義者じゃないことを力説しているんだからどれだけ疑われいたかわかるだろう。