2008年11月11日火曜日

物象化

エリアーデが言うようにマルクス、あるいは共産主義というのは中東に起源があるのかもしれまい。それは思想に限らず、制度としてもである。例えばマルクス・エンゲルスが称賛して止まなかった婦子を共有する一夫多妻制である。これは主に中東で見られる。中東では初代教会といったコミューンで共産制が行われた。古代では一妻多夫制であり、マルクス・エンゲルスによると母権社会があったとされる。「オアシス」は基本的に富の源泉が集中している。今日では石油。昔であると水か。この主力を共有することで経済が潤う、実に単純。イスラム金融は借り手と貸し手が損益を共有するというものである。最近ではイスラエルのキブツが興味深い。

かつての繁栄からは信じられない程今や中東諸国は世界から遅れている。どうして砂漠で多くの文明を揺籃できたのかという疑問がある。しかし、実際は素材に恵まれていたから技術が考えれたことがわかっている。これは中国で火薬が生まれた要因と似ている。今日荒廃しているが、西アジアは世界最古の農業が営まれた。これは砂漠化を発展に伴う物象化の一つと考えられる。今日も経済が猛成長している中国では黄砂が問題化、砂漠化している。サウジやドバイが砂上の楼閣化している。一方の海では物象化とは逆の「雪解け」が起きている、将来大洪水で滅んだ人類に代わって文明を担うのが水棲生物かと言われている。核兵器は究極の物象化であると思う。つまり、人間が「原始」というより「原子」に帰ってしまう。ハイデッガーによれば技術とは自然からの徴発であり、私有財産の飽く無き収用である(この反対は私有財産の投棄という放出のメカニズム)。広大の惑星を想定する、その言わばノマド的制覇、家父長的である。しかし、私は技術はそれ自体は合理的(中立的)で受動的、言わば母性的であると考える。一方でヴィリリオによれば技術とは固有性の止揚である。例えば都市化が進めば家はすし詰めになるが、これは原始共産制社会の住宅様式と類似する。「間隔」を喪失するという点で限界(固有性)を突破する速度やスピードも重要である。これは物象化に対抗する運動であり、近年の知識経済によって加速しているのである。


「物質的生産物の共産主義的生産様式と専有様式に対して言い立てられる異議は、同じように、知的生産物の共産主義的生産様式と専有様式に対しても言い立てられる」共産党宣言より

かつて私は人間の想像力(例えばライトノベルとか)で創世記の言う「最高の、最強の方」とはどういうものかを議論したことがある。結局ユダヤ神学が言う通り固有性(偶像)を持たぬ「無限」の唯一性(共通性)、つまり、「全能」こそが神である。故に私はこれを前提とするために自由主義者、「アダム」スミス的ジェファーソン主義者である。しかし、この「自由の王国」は自己疎外が無く、操作、つまり、主体と客体を同一させる。「見えざる手」というより計画者(ベンヤミンの決定者、神的性格者)を考える。「神的暴力」というのは結局のところ「限界を設け無い」という定義の通り境界をつけて固定化(アウラを見せる物象化、つまり、偶像化)しようとする「神話」を破壊してしまうことで、レーニンの言う「法に制限されえぬ権力」、毛沢東の言う「無法無天」(神にとって)、言わば中国の「小皇帝」のように「孫悟空より自由、始皇帝より権力がある」ことであろうか。究極のCommand Economyか共産主義母権制経済かと。犠牲を無料化された暴力に対して考えれるのが惜しみ無く与えられる「段階」(楽園?)。従って、際限無く獲物を求めるディアスポラ(狩猟採集)では無く、オアシスに定住するために運動するのである。