2008年1月29日火曜日
ポテンシャル
シェーキーの子どもたち
夏目大 訳
共産主義は滅びんよ、何度でも甦るさ、共産主義こそ人類の夢だからだ
2008年1月24日木曜日
2008年1月23日水曜日
2008年1月19日土曜日
フランケンシュタイン・コンプレックス
2008年1月16日水曜日
アニマトリックス
2008年1月15日火曜日
プロレタリア文学はものすごい
プロレタリア文学のSF的側面、SFの階級闘争的側面を指摘したのはよかったが、いただけないのはフリッツ・ラングの話である。 著者はメトロポリスに拘らず、それ以前の作品も取り上げるべきだった。例えばカレル・チャペックのR.U.R.など(1921年頃であり、ロシアと東ヨーロッパで大きな動きがあった。ザミャーチンの「われら」やロマン・ロランの「機械の反乱」はこの時期に書かれた)はどうしてしまったのか?あと、ナチが頼んだのはシラーの古典ヴィルヘルム・テルの映画化であり、メトロポリスのような映画ではない。ナチ宣伝相はメトロポリスより前のラングとハルボウのニーベルンゲンの大ファンだった。それよりも脚本におけるラングとハルボウの考えの違いは意外と知られてないようだ。メトロポリスの労働者の代表と資本家が握手するラストはハルボウのアイディアであり、ラングではない。ハルボウの協調組合主義的な傾向が表れている。階級闘争を導くアンドロイド(ユダヤ人?共産主義者?悪魔?)が悪であり、頭と手は協力すべきと言ってるからこの点がナチ宣伝相に気に入られたようだが、批評家が酷評した。ラングも批評家と同じようにPeter Bogdanovichとのインタビューで大いに不満を漏らしている。ハルボウはラングが居なくなれば大したものを書けなくなったが。それと著者はアンドロイド(未来のイヴ)とロボット(ロッサム万能ロボット会社)の違いに気づきかけているが、マリアをロボットとしてしまっている。アンドロイドとロボットの違いは人形と機械の価値の違いにある。 メトロポリスの社会はロマン・ロランの「機械の反乱」のような自動化はなく、産業兵化している。見た目もリラダンのアンドロイドを継いでいる。未来のイヴと革命は直接は無関係だが、リラダンはパリコミューンを支持していた。
そしてラングがユダヤ系だったという事実は重要だ。映画でも五芒星が出てくるが、六角形がユダヤ教だが、ユダヤの暗示だと言われている。錬金術などをユダヤと重ねているのだ。RURも「唯物論者」としてロッサムが出てくる。マリアはユダヤ人に多い名前ではないか。チャペックはユダヤ教に伝わるゴーレムをロボットの原型だと言っている。ロボットという言葉は実際は兄のヨゼフが造ったが、ヨゼフの方も親ユダヤ的でナチに対する際どい辛らつな態度によりナチの強制収容所で死んだ。つまり、ロボットは元からユダヤ教に通じている。ギルガメシュ叙事詩のエンキドゥもセム系が書いたのかもしれん。アイザック・アシモフのロボットに対する熱意も有名であろう。最近ではスピルバーグがロボットやAIの映画を撮り続けているのも記憶に新しい。ターミネーターのデザインを手がけたアニマトロニクスのパイオニア、スタン・ウィンストンもユダヤ系である。文化人だけではない。AIの父であるミンスキーもマッカーシーもユダヤ人である。ユダヤ系でサイバネティックスの父ノーバート・ウィーナーもこれを知っていたようである。God & Golem (科学と神)にこう書いている。
The ability of machines to learn, and their potential ability to reproduce themselves, lead to the question: 'Can we say that God is to Golem as man is to machine?' (In Jewish legend Golem is an embryo Adam, shapeless and not fully created, hence an automaton).
なお、ラングの反ナチ映画の中では『死刑執行人もまた死す』が傑作であり、ヴェネチア国際映画祭特別賞を受賞している。この映画はウェクスリーやブレヒトといった熱烈な共産主義者と合作したにも関わらず、イデオロギー色は酷くなく、娯楽作品としてもよくできている。やはりラングの技術は凄い。完成後すぐアメリカで「共産主義的な傾向」という理由で徹底的にカットされるほどイデオロギー色があったメトロポリスが傑作でいられるのもラングの技術的な手腕によるところが大きいだろう。
現代のメシア論『ポスト・ヒューマン誕生』
Gershom Scholem
http://en.wikipedia.org/wiki/Gershom_Scholem
今回はちょっとカバラのお話。カバラの意味は伝統。ソロモン・ベン・イェフダー・イブン・ガビーロールがこう呼び始めた。カバラで重要なのはまずセフィロト。
この幾何学的なやつが生命の樹。カントールの集合論とも深い関係にある。セフィラは単数。神は無限なのだが、セフィロトは有限。セフィロトはコンピュータとよく似ている(もちろん無理数はあつかえるけど)。ところで、現在のコンピュータ業界で多くのユダヤ人が活躍されていることはよく知られている。アンティキティラの機械、ダヴィンチ、計算機の歴史は長いが、論理機械であるコンピュータの歴史にユダヤ的な考えが流れていることは余り知られてない。
世界で最初に自動計算機(プログラマブルじゃない)を作ったWilhelm Schickardはヘブライ語の学者。彼は天文学の計算やヘブライの文法のための機械を作っていた。オリジナルは火災で破壊されたそうだ。また、二進記数法を編み出したライプニッツの普遍学(アルス・コンビナトリア)、ルルスの大いなる術(アルス・マグナ)もカバラが影響している。そして建国者であるコロンブスやトーマス・ジェファーソンがユダヤ人でアメリカ大陸が「約束の地」だったり、今のFRBの錬金術やコンピュータ、ロボット、ゲーム業界や学界におけるユダヤ人の地位に結びつく。興味があれば東大大学院情報学環の西垣通教授の著作でも触れてください。