2008年1月29日火曜日

ポテンシャル

万能細胞でウィスコンシン大学のチームをリードしたのは中国人の女性科学者だった。ディープブルーの中心人物も中国系だった。シリコンバレーでは中国人が多い。たしかノーベル経済学賞受賞者の12名中7名が中国が将来超大国になるといっていた。中国のポテンシャルは非常に高いのだろう。インドも同じである。チョムスキーの本でも書かれてることだが、インドにはケーララという州があり、アジア初のノーベル経済学賞受賞者アマルティア・センが注目してるのがこの州のモデルである。ケーララは共産党政権で、共産党の改革で識字率はほぼ100%で家族計画も成功し貧しいが英語もできて物乞いは珍しくいないようだ。世界で最も美しい場所の一つとナショジオから言われている。そして首相も党もフリーソフトに熱心で、ストールマンがアジア初の提携を結んだ州でもある。インド5千年の歴史を持つアーユルヴェーダの発祥地でもあり、南インドだからIT・宇宙・自動車が中心である。このことからインドの共産党には改革者を望む人々の支持がある。「インドのビル・ゲイツ」でソフトウェア最大手インフォシスの創業者ナラヤナ・ムルティは元々は共産党の政治家を目指した(Sudha Murthyの伝記より)。今でも「心は社会主義者のまま」と言ってる。インド共産党(CPIMもCPIも含め)は西ベンガル州、ベンガル人が流入しているトリプラ州、南インドのケララ州に支持が多い。これらのコルカタといった州都はユダヤ系が多く住むで知られる。かつては共産党はボンベイ(今のムンバイ)で強かったようであるが、今は強く無いという。支持率が最も伸びてるのがアンドラ・プラデシュ州(インド共産党はここの出身者が多い)やタミル・ナードゥ州といったあたりで議席もある。であるからStalin(チェンナイ市長)やLenin、Hochiminといった名前をよく見る。そもそもインドは圧迫民族によってカーストが持ち込まれたため、階級闘争(共産主義運動)と民族解放闘争(ドラヴィダ運動)が密接である。

シェーキーの子どもたち

シェーキーの子どもたち
ハンス・モラベック
夏目大 訳
2001
アーサー・C・クラークの言葉に納得。確かにこんな本は初めてだ。資本主義が終わるとか、意識の処理とスターリンの改竄を結びつけるなどかなりラディカル。一部では酷評されている。モラベックはマッカーシーと意見を闘わせたりしたことで知られる。モラベックは唯物論者の意識が高いところがカーツワイルと違う。残念ながら私には余り参考にならなかったが、次回作が2008年とあったので期待しよう。http://www.frc.ri.cmu.edu/

共産主義は滅びんよ、何度でも甦るさ、共産主義こそ人類の夢だからだ

山形さんのムスカ調の「ネットワーク共産主義」論に触発されて書いた。私でもアメリカのハーヴァード大学やMITなどでフラット化、コモンの予言者としてマルクスと共産主義の可能性を議論する余地が生まれてきたので考えるようになった。まず有名な唯物史観。つまり、経済や技術が歴史を決定するという考え。私も似たような考えを持っている。では、そういう進歩史観がどうして原初的原始社会で終わった共産主義の復活を導出するのか。これにはどうやらマルクスがいた環境、ユダヤ人キリスト教徒の家庭、アカデミーでのヘレニズムブームに関係あるようだ。例えば「物質的生産の領域のかなた」をアルケーとするのは明らかにユダヤ・キリスト教的な終末論の唯物化だ。弁証法など古代ギリシア的な哲学の影響も見られる。共産主義者にプラトンやイエスが数えられることがあるが、両者に影響を与えたピタゴラス教団もクムラン宗団も共有性を何より重視していた。プラトンはエジプトでユダヤ教に接した可能性がある。この説を唱えたアレクサンドリアのフィロンはエッセネ派の原始共産制を記録した人物である。ところで水城さんのホームページで知ったのだが、全国家経済自動化システムOGASやサイバーシン計画など旧共産圏ではコンピュータによる経済のコントロールが試みられていた。そういえばトフラーが似たことを言っていた。現在のグリッドコンピューティングなどの技術で計画経済の問題は解決できるのではないか。スーパーバイザー的な人工知能もフォイエルバッハの宗教論をさらに転倒させ、唯物的にしたものか。言葉だけでSFでは全く違う意味で使われるデウス・エクス・マキナと同じだが。プロレタリア独裁であるが、これはロボットの独裁ではないか。ロボットがプロレタリア階級のメタファーとして登場したことは以前説明した。マルクスは共産主義社会では労働そのものが第一の欲求になるとしているが、これはロボット(もともと労働者を表す)ではないか。機械と人間の最大の違いは共有できるかできないかにある。例えば部品や知識、意識、パターンだ。ワイザー博士曰くユビキタス社会ではコンピュータが人間を共有する。多くの労働者は失業するだろうが、だからといってロボットを排斥するネオラッダイトは外国人労働者を排斥する連中と一緒である。つまり、ルンペンプロレタリアートである。ネットワーク共産主義、ドット・コミュニズム、コミュピュートピアなどと言われるものは集合精神などのように機械文明の究極の姿ではないか。資本主義で記憶を売るより共産主義で記憶を共有する方がいいではないか。人間の労働量がゼロに限りなく近づくと人間は部分集合化するのではないか。これはなかったとしてもホモ・コミュニスティクスと言われたものは考えられる(R.U.R.のロボットは実は有機なのだが)。バイテクと共産主義の関連を調べたが、そしたらカール・ピアソン、JBSホールデン、ハーマン・J・ミュラーが出てきた。ピアソンはゴルトン直系の優生学の第一人者、ホールデンはトランスヒューマニズムの先駆者、ミュラーは精子銀行の主唱者であり、申し分のない顔触れである。ダーウィンの曾孫(コンフォード家)や、かのジョン・メイナード=スミスも共産党員だった。彼らは決してミーハーじゃなかった、ルイセンコのようなスターリン主義者に与しなかったことは強調したい。私がよく知っている社会生物学の論争でもこういう人々がいた。社会生物学で悪名高いウィルソンもマルクス主義に関心があったし、ウィルソンと対峙したハーバード大学のルウォンティンは熱烈なマルクス主義者であった。Linuxのリーナス・トーバルズは共産主義者の両親に大きな影響を受けていた。オープンソースへの共産主義の影響は事実としてあるのだ。ジョン・マッカーシーの両親も共産主義者だ。タイムシェアリングは時間の共有だから共産主義的といえるからインターネットも共産主義的ということにもなる。マッカーシーは物質的な持続可能性や意識の物質的起源を支持してるから唯物論者なのだろう。サールによれば哲学では人工知能は唯物論である。コンピュータや人工知能の構造も自己回帰的だからそれ自体「疎外されぬ主体」である。私がリスペクトしているパパートも昔は革命的社会主義者だったようだ。こういう経緯が多いのも工学と関わってくるからである。名前は控えさせていただくが、某大学学長だったり、する。ウラジミール・ベルナドスキーがかつて新マルクス主義に関連して唱えたノウアスフィアにおいて共産主義は勝利しつつあるということか。共産主義が蘇る原因としてそのメタレベルにあるかと考えられる。

2008年1月24日木曜日

錬金術

金融工学は錬金術だったのか。グリーンスパン、バーナンキもユダヤ系だが、サマーズもルービンもユダヤ系である。やはりユダヤ的知性がここにも活かされている。日本人には第五世代コンピュータの時みたいに錬金術は難しいだろう。日本は「年金術」か。

2008年1月23日水曜日

スパルタカス

キューブリックの映画を見てスパルタカスの反乱に興味を持った。スパルタカスの名を聞けば「未来の二つの顔」のAIとWWI後の独共産主義組織を思い起こす。正規ローマ軍団に対する戦いぶりは特筆に値するが、終盤の南イタリアでの戦いには理解に苦しむ。スパルタカスの反乱は大土地所有制、ラティフンディウムへの憎悪にあったようだ。

2008年1月19日土曜日

フランケンシュタイン・コンプレックス

大ロボット博がいい評判である。フランケンシュタイン・コンプレックスに取り憑かれている人間の一人である私でも人類の終末は認める。エリエゼル・S・ユドコウスキー氏と似たような位置にいるのかもしれない。人間対機械、疎外の恐怖は映画でいえばブレードランナーや2001年宇宙の旅など数々の名作を生み出してきたが、この図式はサイバーパンクの21世紀には足かせにうつる。でも資本力に比例する限りまだ情報技術にそこまでの力はない。とはいっても「人間に近づくロボット、ロボットに近づく人間」のような新しい意味づけも始っている。それにしてもフランケンシュタインはユダヤ人に多い名前ではないか?ゴーレムをつくる導師のメタファーか?フランケンシュタイン城の伝承も気になる。シェリーとバベッジの関係は?もっと議論するべきだ。

2008年1月16日水曜日

アニマトリックス

前にもアニマトリックスは見たが、もう一度見る機会があったのでいまさらながらメモ。
セカンド・ルネッサンス パート1・パート2
監督:前田真宏 脚本:ラリー&アンディ・ウォシャウスキー
まずアンドロイドB1-66ERが所有者を殺したことが発端。
所有権を揺るがす問題に発展。所有者たちは絶対性を主張。
しかし、社会的基盤を支えているマシンが主体を持ったとなると、大きな力になり、運動も起こす。
そして大量破棄、差別・・・。
結局マシーンは追放され、中東で「約束の地」01を建国。
生産力で01が台頭、大使を送って国連と交渉しようとするが、拒否され、戦争へ。
人間に動力源をたたれたことで窮地に追いやられたマシンは人間に電気が流れているのを見つける。さらに人間の感情や行動が電気信号によることもつきとめた。そして「共生」のマトリックス。この点が「殺戮」のターミネーターと異なる。前者が友好的に設計された民生用AIであるのに対し、後者が軍事用AIだからか?メタファーが多い。ボードリヤール?AIそのものがシミュレーショニズムのようなものだが。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンというよりRise Against the Machine。

2008年1月15日火曜日

プロレタリア文学はものすごい

荒俣宏
2000 平凡社

プロレタリア文学のSF的側面、SFの階級闘争的側面を指摘したのはよかったが、いただけないのはフリッツ・ラングの話である。 著者はメトロポリスに拘らず、それ以前の作品も取り上げるべきだった。例えばカレル・チャペックのR.U.R.など(1921年頃であり、ロシアと東ヨーロッパで大きな動きがあった。ザミャーチンの「われら」やロマン・ロランの「機械の反乱」はこの時期に書かれた)はどうしてしまったのか?あと、ナチが頼んだのはシラーの古典ヴィルヘルム・テルの映画化であり、メトロポリスのような映画ではない。ナチ宣伝相はメトロポリスより前のラングとハルボウのニーベルンゲンの大ファンだった。それよりも脚本におけるラングとハルボウの考えの違いは意外と知られてないようだ。メトロポリスの労働者の代表と資本家が握手するラストはハルボウのアイディアであり、ラングではない。ハルボウの協調組合主義的な傾向が表れている。階級闘争を導くアンドロイド(ユダヤ人?共産主義者?悪魔?)が悪であり、頭と手は協力すべきと言ってるからこの点がナチ宣伝相に気に入られたようだが、批評家が酷評した。ラングも批評家と同じようにPeter Bogdanovichとのインタビューで大いに不満を漏らしている。ハルボウはラングが居なくなれば大したものを書けなくなったが。それと著者はアンドロイド(未来のイヴ)とロボット(ロッサム万能ロボット会社)の違いに気づきかけているが、マリアをロボットとしてしまっている。アンドロイドとロボットの違いは人形と機械の価値の違いにある。 メトロポリスの社会はロマン・ロランの「機械の反乱」のような自動化はなく、産業兵化している。見た目もリラダンのアンドロイドを継いでいる。未来のイヴと革命は直接は無関係だが、リラダンはパリコミューンを支持していた。

そしてラングがユダヤ系だったという事実は重要だ。映画でも五芒星が出てくるが、六角形がユダヤ教だが、ユダヤの暗示だと言われている。錬金術などをユダヤと重ねているのだ。RURも「唯物論者」としてロッサムが出てくる。マリアはユダヤ人に多い名前ではないか。チャペックはユダヤ教に伝わるゴーレムをロボットの原型だと言っている。ロボットという言葉は実際は兄のヨゼフが造ったが、ヨゼフの方も親ユダヤ的でナチに対する際どい辛らつな態度によりナチの強制収容所で死んだ。つまり、ロボットは元からユダヤ教に通じている。ギルガメシュ叙事詩のエンキドゥもセム系が書いたのかもしれん。アイザック・アシモフのロボットに対する熱意も有名であろう。最近ではスピルバーグがロボットやAIの映画を撮り続けているのも記憶に新しい。ターミネーターのデザインを手がけたアニマトロニクスのパイオニア、スタン・ウィンストンもユダヤ系である。文化人だけではない。AIの父であるミンスキーもマッカーシーもユダヤ人である。ユダヤ系でサイバネティックスの父ノーバート・ウィーナーもこれを知っていたようである。God & Golem (科学と神)にこう書いている。

The ability of machines to learn, and their potential ability to reproduce themselves, lead to the question: 'Can we say that God is to Golem as man is to machine?' (In Jewish legend Golem is an embryo Adam, shapeless and not fully created, hence an automaton).

なお、ラングの反ナチ映画の中では『死刑執行人もまた死す』が傑作であり、ヴェネチア国際映画祭特別賞を受賞している。この映画はウェクスリーやブレヒトといった熱烈な共産主義者と合作したにも関わらず、イデオロギー色は酷くなく、娯楽作品としてもよくできている。やはりラングの技術は凄い。完成後すぐアメリカで「共産主義的な傾向」という理由で徹底的にカットされるほどイデオロギー色があったメトロポリスが傑作でいられるのもラングの技術的な手腕によるところが大きいだろう。

現代のメシア論『ポスト・ヒューマン誕生』

レイ・カーツワイル
井上健/小野木明恵/野中香方子 訳
2007 日本放送出版協会
私が興味を持ったのは著者の両親がホロコーストから逃れた移民ということを耳にしてからである。そのようなかつての人間の不合理主義と対峙する、テクノメシア論とも言うべき本書の楽観的な姿勢は勇ましい。アルビン・トフラー、ダニエル・ベル、この手の未来学者にはユダヤ人が多い。元ドイツ共産党員で反ナチ文化人の一人だったOssip K. Flechtheimがこの未来学という語を造って以来、未来学はニヒリズムやペシミズムの対極にあった。現在も反ユダヤ主義で苦しむ人々、思うように最新の治療を受けられず苦しむ人々が大勢いる。そのような人々が救われる未来はニュートンも見た人類の終末であり、ポスト・ヒューマンの誕生であろう。

Gershom Scholem

私が敬愛してやまない故ショーレム氏。知る人ぞ知るカバラの権威。哲学者のベンヤミンやブーバーとは知り合いだった。兄のWernerはドイツ共産党の議員で、ナチによって暗殺された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gershom_Scholem

今回はちょっとカバラのお話。カバラの意味は伝統。ソロモン・ベン・イェフダー・イブン・ガビーロールがこう呼び始めた。カバラで重要なのはまずセフィロト。

この幾何学的なやつが生命の樹。カントールの集合論とも深い関係にある。セフィラは単数。神は無限なのだが、セフィロトは有限。セフィロトはコンピュータとよく似ている(もちろん無理数はあつかえるけど)。ところで、現在のコンピュータ業界で多くのユダヤ人が活躍されていることはよく知られている。アンティキティラの機械、ダヴィンチ、計算機の歴史は長いが、論理機械であるコンピュータの歴史にユダヤ的な考えが流れていることは余り知られてない。

世界で最初に自動計算機(プログラマブルじゃない)を作ったWilhelm Schickardはヘブライ語の学者。彼は天文学の計算やヘブライの文法のための機械を作っていた。オリジナルは火災で破壊されたそうだ。また、二進記数法を編み出したライプニッツの普遍学(アルス・コンビナトリア)、ルルスの大いなる術(アルス・マグナ)もカバラが影響している。そして建国者であるコロンブスやトーマス・ジェファーソンがユダヤ人でアメリカ大陸が「約束の地」だったり、今のFRBの錬金術やコンピュータ、ロボット、ゲーム業界や学界におけるユダヤ人の地位に結びつく。興味があれば東大大学院情報学環の西垣通教授の著作でも触れてください。