2008年5月17日土曜日

ロボコップと資本主義

出演:ピーター・ウェラー
1987
ロボコップって単純だが、面白い。もはや資本主義が誰にも規制されなくなったいつかのデトロイトで行政がオムニ社に牛耳られている。警察さえもブルジョアジーが「自分たちの賃労働者に変えてしまった」のである。そして「効率性」しか考えない資本の運動法則の人格化である資本家たちがサイボーグを再生産再利用。しかし、ブルジョアジーは「自分たちの死をもたらす武器を鍛えただけではありません。その武器を使いこなす人々、近代的労働階級、プロレタリアを生み出した」 。ロボコップにあるのはもはや鎖に繋がれた肉体ではなく、意識だけがあるのだ。「亡霊」的革命戦士である。ロボコップに犯罪者や失業者を排除することをブルジョアジーが命じた。しかし、ロボコップがわかったのは「企業の悪」だった。つまり、「悪しき構造」を理解したのだ。そして企業に立ち向かうロボコップだが、これも暴力によるもの、暴力革命である。まさに共産党宣言が説いた世界ではないかと考えてしまう。丸山真男はかつてプロレタリアートが資本主義の過酷様相を集めた階級であるとしたが、まさにその通りだ。サイボーグとは疎外されぬ労働者、前エディプス的共生(共有)である。だからハラウェイみたいに「万国のサイボーグよ、団結せよ!」。

2008年5月4日日曜日

アルファヴィル

お久しぶりです、同志の皆さん。
私ANDROPOTが収容所で「矯正教育労働改造」させられている間、お元気でしたか。
ここで私ANDROPOT、委員に立候補致しまして、現在、ヤフーリングラードでANDRONETを運営しております。興味があればアクセスしてみてください。
と、空想はさておき、今回も映画を紹介。
アルファヴィル
監督:ゴダール
ゴダールだからやっぱり「もしも」の映画だった。もしも「東側で」って話。イワンとかナターシャとかプラウダとか私の目を引く記号が多い。月は無慈悲な夜の女王みたいに。実際、コンピュータで経済をコントロールしようとしたのだからソ連がこのように捉えられても当然。オーウェルもザミャーチンもゴダールも「当事者」としてかつての自分の「ユートピア」の実像を描こうとした。そういえば「コンピュータが人間を管理する」というテーマのSF映画、これが最初だった?