2008年1月29日火曜日
共産主義は滅びんよ、何度でも甦るさ、共産主義こそ人類の夢だからだ
山形さんのムスカ調の「ネットワーク共産主義」論に触発されて書いた。私でもアメリカのハーヴァード大学やMITなどでフラット化、コモンの予言者としてマルクスと共産主義の可能性を議論する余地が生まれてきたので考えるようになった。まず有名な唯物史観。つまり、経済や技術が歴史を決定するという考え。私も似たような考えを持っている。では、そういう進歩史観がどうして原初的原始社会で終わった共産主義の復活を導出するのか。これにはどうやらマルクスがいた環境、ユダヤ人キリスト教徒の家庭、アカデミーでのヘレニズムブームに関係あるようだ。例えば「物質的生産の領域のかなた」をアルケーとするのは明らかにユダヤ・キリスト教的な終末論の唯物化だ。弁証法など古代ギリシア的な哲学の影響も見られる。共産主義者にプラトンやイエスが数えられることがあるが、両者に影響を与えたピタゴラス教団もクムラン宗団も共有性を何より重視していた。プラトンはエジプトでユダヤ教に接した可能性がある。この説を唱えたアレクサンドリアのフィロンはエッセネ派の原始共産制を記録した人物である。ところで水城さんのホームページで知ったのだが、全国家経済自動化システムOGASやサイバーシン計画など旧共産圏ではコンピュータによる経済のコントロールが試みられていた。そういえばトフラーが似たことを言っていた。現在のグリッドコンピューティングなどの技術で計画経済の問題は解決できるのではないか。スーパーバイザー的な人工知能もフォイエルバッハの宗教論をさらに転倒させ、唯物的にしたものか。言葉だけでSFでは全く違う意味で使われるデウス・エクス・マキナと同じだが。プロレタリア独裁であるが、これはロボットの独裁ではないか。ロボットがプロレタリア階級のメタファーとして登場したことは以前説明した。マルクスは共産主義社会では労働そのものが第一の欲求になるとしているが、これはロボット(もともと労働者を表す)ではないか。機械と人間の最大の違いは共有できるかできないかにある。例えば部品や知識、意識、パターンだ。ワイザー博士曰くユビキタス社会ではコンピュータが人間を共有する。多くの労働者は失業するだろうが、だからといってロボットを排斥するネオラッダイトは外国人労働者を排斥する連中と一緒である。つまり、ルンペンプロレタリアートである。ネットワーク共産主義、ドット・コミュニズム、コミュピュートピアなどと言われるものは集合精神などのように機械文明の究極の姿ではないか。資本主義で記憶を売るより共産主義で記憶を共有する方がいいではないか。人間の労働量がゼロに限りなく近づくと人間は部分集合化するのではないか。これはなかったとしてもホモ・コミュニスティクスと言われたものは考えられる(R.U.R.のロボットは実は有機なのだが)。バイテクと共産主義の関連を調べたが、そしたらカール・ピアソン、JBSホールデン、ハーマン・J・ミュラーが出てきた。ピアソンはゴルトン直系の優生学の第一人者、ホールデンはトランスヒューマニズムの先駆者、ミュラーは精子銀行の主唱者であり、申し分のない顔触れである。ダーウィンの曾孫(コンフォード家)や、かのジョン・メイナード=スミスも共産党員だった。彼らは決してミーハーじゃなかった、ルイセンコのようなスターリン主義者に与しなかったことは強調したい。私がよく知っている社会生物学の論争でもこういう人々がいた。社会生物学で悪名高いウィルソンもマルクス主義に関心があったし、ウィルソンと対峙したハーバード大学のルウォンティンは熱烈なマルクス主義者であった。Linuxのリーナス・トーバルズは共産主義者の両親に大きな影響を受けていた。オープンソースへの共産主義の影響は事実としてあるのだ。ジョン・マッカーシーの両親も共産主義者だ。タイムシェアリングは時間の共有だから共産主義的といえるからインターネットも共産主義的ということにもなる。マッカーシーは物質的な持続可能性や意識の物質的起源を支持してるから唯物論者なのだろう。サールによれば哲学では人工知能は唯物論である。コンピュータや人工知能の構造も自己回帰的だからそれ自体「疎外されぬ主体」である。私がリスペクトしているパパートも昔は革命的社会主義者だったようだ。こういう経緯が多いのも工学と関わってくるからである。名前は控えさせていただくが、某大学学長だったり、する。ウラジミール・ベルナドスキーがかつて新マルクス主義に関連して唱えたノウアスフィアにおいて共産主義は勝利しつつあるということか。共産主義が蘇る原因としてそのメタレベルにあるかと考えられる。