2008年8月10日日曜日

皆でビッグブラザー(大きな同志)になろう

コミュニズムとは横断的に自由な個人が結ばれるシステムである。私が以前言った「千の眼」(リゾーム状に連結?)「複眼」とはデリダ的脱構築である。民主主義のように権力を監視するように盗聴器や監視カメラを自由に共有する。機械も人間も共有するということで相互疎外も消える。マルクスはプライベートやプライバシー(私的保証、私的安全)を破壊することを唱えたが、パーソナル(固有、個体的所有)は否定していない。ソビエト共産主義の失敗はこれらを超越(トランス)したところにあった。つまり、縦断的に破壊してしまった。それは中央集権的司令塔、監視塔、灯台である。これもビッグブラザーだが、私の言う各人がビッグブラザーという状態ではない。この状態を「スモールブラザー」と言うべきかもしれんが、最大限の自由がある。グルントリッセのコミュニズムは「結合」(アソシエーション)することで連ねる「インター」(場所に制約されない)である。現象学的に言えばそれは主観の共有である。相互的に視点を共有する。レーニンのイデオロギー論や経験論のように客観を共有させる、つまり、真理を独占するのではない。