2008年8月24日日曜日

アナトリア

エデンの園があったと言われるアナトリアであるが、チャタル・ヒュユクは住宅は大きさも同じ、道路も無く、くっ付いている、つまり、完全共有。「間隔」が無いというこの原始共産主義の建築は私が言う都市や技術が極限まで発達することで速度等が限界(私的所有)を超えて「距離」を喪失するという共産主義と似ている。さらに無階級、無搾取、私有財産も無いし、平和である。必ずしも母権的原始共産制が狩猟採集だけじゃないということだろうか。母権でも述べたが、これも考古学に留まらず、共産主義、マルクス主義にとっても重要である。最も親イスラエル的でカナン人で知られる世界最古の町エリコの場合、この正反対。要塞都市。農耕と自然銅がキーワード。鉱業が栄えるのもアッシリア人がきてからである。アッシリアが最初に商業を行い、文字や冶金合金の人工的知識を与えたが、最近の研究によると原ハッティ人(The Hattians)から知識があったとか(アッシリア語を話しているが)。この後にやってきたセム系と異なる征服民によりこの原始共産制が壊されたという。壁画はとにかく動物も人間も赤が多く、牛崇拝や母神信仰(地母神)はここから始まったという。ジェームズ・フレイザーを引用したくなるが、エンゲルス達やバッハオーフェンの遊牧民族征服説も正しかったということか。今日見られる多くの女神も先インドヨーロッパ(プレ)から受け継いだものか。インド・ヨーロッパ語族の起源が非アーリア(イラン高原も北方も関係無い)から分かれたものという仮説も無理があるとの批判が多いが、興味深い。最近の研究でつくられた系統樹によると「紀元前6700年ごろヒッタイト語と分かれた言語がインド・ヨーロッパ語族の起源」らしい。この学説自体はアメリカの学者Edgar H. Sturtevant(ユダヤ系言語学者Leonard Bloomfieldらとアメリカ言語学会を設立したことで知られる)とによって唱えられた(旧ソ連や東側の学者も唱えたのだが)。アナトリア語派、特にヒッタイト語は共生していた原ハッティ語といった非インド・ヨーロッパ語族系からの借用語も結構多いし、所謂インド・ヨーロッパ語族と構造から音声まで著しく異なることから区別すべきとかねてから異論が多かったものだ(神話にしても非インド・ヨーロッパ語族からの借用が多い)。そしてユダヤ人とアッカドの言うハッティ人が人種的特徴が似ていることでも知られる。あの反ユダヤ主義者のチェンバレンによるとユダヤ人は旧約聖書で最初に登場したこのヘテ人(シリアからきた)と原ヘブライ人の混血である。ユダヤ人のワシ鼻や丸い頭部もこのプロトヒッタイト族に由来するという。アブラムを「神に選ばれた」と認め、その息子もダヴィデもソロモンもハッティアンと結婚し、イスラエルの歴史でも言わば味方である。この説を唱えたコーリン・レンフリューは民族と言語をイコールにする考えを常に批判してきた。彼はクルガン説のマリヤ・ギンブタスとともに文明の起源をアフロ・アジア、中東と考えてきた。母権論の信奉者であるギンブタスはクルガン説を唱えたが、それは思惑が異なっても平等や平和ではなく、好戦性を説く危ういデュメジル達に論拠を与えてしまうと彼は考えたのだろう。彼がレヴィナスやホブズボームで知られるバルザン賞を受賞したのもそういうことだろう。セム語族とインド・ヨーロッパ語族は「形容詞の変化、子音のみの単語に母音を差し込んで造語する、文法性の存在」等で共通性があることから大語族が想定されている。レンフリューと共にこの説を唱えたピーター・ベルウッドはあらゆる語族がレバントから生じたと言う。個人的にトルコという国が私は好きである、ケマルとレーニンも親しくしていた。トルコ共産党には20世紀のトルコ最高と言われた詩人といった偉人が多かったという(ギリシアやキプロスでも共産党が強い)。アラビアで起きた共和主義者の軍事クーデターもウラービー革命とケマルを範としているのであろう(イスラエル・シュメール・エジプトのシンボルである五芒星という共通点を国旗で見出せる)。最近の分析だとセム系のDNAがトルコ(特に遺伝子的に類似するクルド人やアルメニア人、ユダヤ人が共生している南東部)に多いことがわかっている、むしろ親ユダヤ的で反ユダヤ主義が起りにくいのも当然と言えよう(イスラエルとシリアの仲介役をしたのもトルコである)。アララト山のノアの箱舟を占有してたのもソ連共産党であったという。ユダヤ主義とかつてトルコやハンガリーを席巻したトゥラン主義が手を組めばこわいものがあるだろうか。 ハンガリー人は今や民主化のに数えられるが、ハンガリーは早い時期から共産主義国化し(共和制ハンガリー初代大統領首相ミハーイ・カーロイはエーベルトと似たようにソ連寄りで社会民主党系であったが、共産化はしなかったため、社会民主党の急進派と共産党が連立してできたのがハンガリー・ソビエト政権である)、カルマンやバルトークといった有名人が参加している(1919年)、これはルーマニアの内政干渉によって打倒されたのである。 しかし、どうして中東(肥沃な三日月地帯)が衰退していったのか(とはいえ流石神に祝福された場所であり、イスラム科学でリバイバルしている)を考えるとやはりアラブ化してからである。ここで言うアラブというのも元々砂漠のノマド(遊牧民)のことである。かつてから定住していた農耕民であると「ハザル」と呼ばれている(ツラン系のハザール王国と関係あるか?)。実を言うとユダヤ人は分類学的に見ると移動嫌い(迫害されて彷徨うが)であり、その場によく適応(寄生呼ばわりされるが共生である)するところがある。 これが今のイスラエルとアラブの対立をあらわしている。そもそも「ヘブライ」と言うからに「ティグリス・ユーフラテス川」が重要であり、「そこから渡ってきた」ことを考えるとツラン人とも言える。アナトリア周辺のメソポタミア北側にいた最古のSem語とされるアッカド語もエジプト(アフロ・アジア語族の典型)に対してSumer語と一緒である。アジア人の祖先と言うのであるからそう考えるべきかと。コーカサス諸語と似ているのもわかる。アララト山、エデン=アナトリア説、トルコが親ユダヤという歴史も考えればである。反ユダヤ主義とはアンチセム主義と言い、いわばユダヤ人であろうがアラブ人であろうが中東自体にコンプレックスを感じる今のアングロサクソンの考え方である。それより「南北問題」の方が私はもっと今に通じると思う。これは次に述べるとする。戦争で見られるようにペルシャとアラブの対立の方がもっと深刻である。シリアもトルコを介してイスラエルと国交回復しつつある。古代から戦争でペルシャに悩んでいたアッシリア人と、ペルシャ人によって南に追いやられたドラヴィダ人にとってペルシャが共通の敵である(米ソにとってもであった)。 最近では資源に限らず、急速に世界の金融セクター、イスラエルの建国で技術セクター化しつつある。これにドラヴィダ系の移民も加わっている。

すると
トルコとイスラエルが手を組むだろう
法皇を暗殺しようとした人間を輩出したのもトルコ
トルコがイスラム世界で早くからイスラエルを承認した
トルコ共和国の父ケマルはトルコ・モンゴル系のレーニンの盟友(スターリンもグルジア人であり、広義のツラン人)
それとアリ・フアト・ジェベソイも
青年トルコ人革命の英雄エンヴェル・パシャはコミンテルンの関係者であった
統一と進歩委員会もユダヤが操ってたといわれる
オスマン帝国もユダヤを歓迎していた
トルコ(アルタイ言語系)E16%、J40%、R14% と、トルコ人のDNAの大半はユダヤと一緒(さらに遺伝子的にはクルド人やアルメニア人とも似ており、アララト山が重要であるのがわかる)
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000sekaiidennsi2.htm
ハザールとかカザールとかはユダヤとトルコの友好の産物である
太○龍氏のツラン人もこういうことである

親日だから大いにOKだろう。
今、スペインでツラン人であるバスクの運動が大いに盛り上がっている。
バスク自決運動はスペイン内戦当時から共産主義運動と関係があった。
バスク祖国と自由もマルクスレーニン主義を信奉している。
最近であるとドイツの左翼党(旧東独共産党)でトルコ系移民が活躍している。
世界のアフロ・アジア的(セム・ハム)ルーツの解明が待たれる(まるでニコライ・マルであるが)。