唯物史観を再確認しておく。社会は有機体ではなく、機械である(ルソーやホッブズ、マルクスらの社会契約論)。下部構造(下位システム、マルクスが言う「土台」)の役割が大きい。言わばマトリックス(基盤、母権的)である。これをインフラストラクチャー(交通様式)と呼ぶ。学校、港湾、道路、病院、水道、ガスも下部構造であり、共有物(公共物)である。資本主義の公共投資も共産主義の公共事業も「共有財産の強化」という点で共通するが、後者が個人の家まで及ぶ私有の廃止も含めるのに対して、前者の場合、制限や規制だけだった。そういえば世界最初の公営集合住宅というのもカール・マルクス・ホーフだった。コンビナート、それに集団農場。 レーニンは共産主義を電化と言ったが、これは発電所という下部構造の性質(電気の共有)から得た知見だろう。
インフラ整備の原型はローマに遡るという(水道も公道もトンネルも図書館もダムも最古の帝国アッシリアのものであり、その機構を真似たのがローマである。日本では余り知られてないようだが郵便もアッシリアからある)。ローマといえばローマ法は所有権を認めたが、公共に対する意識が高かったという。土地に関して言えばバブーフが尊敬したグラックス兄弟が暗殺されてから、カエサルが登場するまで目立った改革は一切行われなかった。カエサルの多くの施策はグラックス兄弟の計画を継承したものだという。そういえばゲルマニアや日本というのも私有の意識が低く、制限を設けていた(これらの国々が共産党やマルクス主義が強かった国というのも興味深い)。共産圏(特にゴエルロ・プランや五カ年計画)や所謂枢軸国のインフラ建設にも通じるだろう(といってもムッソリーニもヒトラーも前任者の計画を継承したのだが)。モスクワ改造計画(1931年)、世界首都ゲルマニア計画(1933年)、エウル・チネチッタ(1935年、1937年)という具合に。ソ連やドイツの収容所も下部構造と言える、今日のアメリカも刑務所が一定の産業を支えている。80年代のビスマルクの社会保障も何れもマルクスと関係を持ったフォン・ミーケルやラサールの助言から得たものと言われる。ニューディールにも通じる。アメリカの場合、私有の意識が高いように思われるが、建国当初は共産制であり、電話や多くのインフラを供給してきた。ロシアも村落共同体から共有の意識が高い。冷戦も計画経済同士の戦いと言われ、焦点だったのも経済というより政治だった。計画経済も世界恐慌に耐え、宇宙開発や都市計画で効果を出したが、サービス業では消費者を軽視して製品の質が粗末であった(人間工学の視点が欠けるということか)。アメリカじゃ消費者運動が起きたが、ソ連だと抑圧された。この構造の終わりごろだと軍需から民需への転換が見えてくる。
下部構造の概念が大きく変わるのがインターネットである。これにより通信インフラやITインフラへとシフトし、かつての重厚長大産業に代わる。ここで着目すべきが共有財産という意識が保持されるどころか、高められたことだ。20世紀前半、資本論の「総需要は有限」に基く計画経済が出てきたが、後半だと「成長は無限」に基くニューエコノミー論が出てきた。コジェーブが言った共産主義の「必要に応じて受け取る」段階にとりあえず人類は移行したようだ。土地や設備という下部構造に対する「資金の無限」でバブルが起きた。21世紀だと古典派経済学の「自然の無限」が、共有地の悲劇である環境問題や食糧危機で崩壊した。私として「人間が自然に疎外されて環境を管理できておらず、搾取に対する自然の反乱が起こった」と考える。といっても情報の無限(IT技術)があるから資本主義がハードからソフトに移るだけだと言う。この「創造的資本主義」がコミュニズムという妖怪をうまく飼う、いや揺り籠で静めることができるか。いずれ資本家もあらゆる事業から撤退するだろう。老人のように砦をつくってマルクスの亡霊におびえるか、奴隷制の主人や封建制の王、かつての亡者とともに歴史の眠りにつくか。