


(強制移住という手法を好んだ点も)。コンペに応募したのはソ連の御用建築家たちと、フランスとドイツを代表するモダニズム建築家のルコルビュジエとグロピウス、新即物主義のペンツィヒ、「コンクリートの父」のペレなどと豪華である。ルコルビュジエやペレは他の権威的な建築活動に直接関わったが、これだけの建築家が集まったのもまだアヴァンギャルドなものがあったからではないか。バウハウスの2代目の校長はソ連に亡命した。国際連合本部ビルを設計し、計画都市ブラジリア公共建築の中心人物だったニーマイヤーも共産党員だった(国連初代事務総長トリグブ・リー自身がボリシェヴィキ革命の熱烈な支持者なのだが)。丹下健三もマルクス主義に一時は傾倒し、ルコルビュジエ案を見て建築家を志した。故黒川紀章や磯崎新、安藤忠雄も社会主義、毛沢東、ゲバラに関心があった。そもそもモダニズム建築の源流はマルクス主義者だったウィリアム・モリスが率いるアーツ・オブ・クラフツにある。この運動にアール・ヌーヴォー、アール・デコ、ドイツ工作連盟などは影響を受けた。