われら
エヴゲーニイ・ザミャーチン
エヴゲーニイ・ザミャーチン
岩波書店
ザミャーチンの「われら」はディストピア文学の古典の中の古典であり、後の「すばらしい新世界」(エレホンの影響もあるが)、特に「1984年」などは多大な影響を受けている。「われら」はチャペックのRURが書かれた年と同じ年、1921年に書かれており、両作品とも共産主義革命の影響があった。「われら」の人々もロボットのように時間律法表に従って動き、浮遊するロボットに監視され、番号で呼ばれ、主人公D-503もその一人である。そこではソクラテスの如く禿げた人物(この時期で禿げた独裁者といえばまだ生きていたレーニンではないか)が支配し、その巨大な鉄の手が全てを操っている。ソビエト宮殿とバベルの塔とバラド=ドゥアやディファレンス・エンジンでも述べたが、やはり鉄のカーテンにせよ、鉄と共産主義は合う(サッチャーの鉄の女も元々は東側が呼び始めた)。小松御大の「鉄食人種は共産主義者である」ではないが。テーラー・システムはソ連でも実施されたが、東大のシンポジウムで聞いた話によると、当時20年代初期のソビエトの食料配給にあるとか。人間の食物は燃料だとし、交換可能な螺子としてカロリーまで決定されたのだ。 ところでこの小説にはガスの処刑機械が登場する。「機械」というのもカフカからきている。やはりソ連はガス車があったのか、ソ連にはギロチンもあったが。
レーニンはロシア人であるが、モンゴル系(世界中でもっとも子孫を多く残したチンギス・ハーンの血も?)でギリシャ系でユダヤ系でもある。父親は非ユークリッド幾何学のロバチェフスキーの親友である。神童で全学科全学年で主席、難関試験で134人中1位という成績を残す。兄は政治犯で処刑、「世界を震撼させた十日間」では革命を成功させ、その政治はあらゆる独裁者の手本となった。晩年は正気ではなくなり、車椅子生活となった。