2008年10月10日金曜日

アジア的生産様式

原始共産主義は当初から言っていたわけでも無く、マルクスは「アジア」「古代」「封建」「ブルジョア」に生産様式を分けている。スピヴァクによればアジア的生産様式という言葉はマルクスは一度使用した。奴隷制へ必然的に至るとしているのは確かであるが、私的所有に欠け、「共有」を敷いている点で連続しているとされる。原始共産主義とアジア的生産様式の境界は実に曖昧なものである。このせいでいくつかの仮説ができることになった。マリアテギはインカを原始共産主義の最もよい例としていた。一方のマルクスはインカには関心が無いと言っている。インカに国家は無いともされている。エジプト・メソポタミア・中国・インダスといった四大文明にこのアジア的生産様式はより見出されるという。今日では中国共産党にせよ日本共産党にせよアジア的生産様式は好ましいものとされるのが有力であるようだ。ということは古代ローマあたりから切断したと見るべきか。ところでアジア的生産様式の記述を読んでいて中央アジアあたりのソ連や中国の共産主義を思い起こす方が多いかと思われる。この疑問に答えてくれるのがカール・ウィットフォーゲルの研究とその著書である「オリエンタル・デスポティズム」である。 ウィットフォーゲルは元々は共産党員でフランクフルト学派のマルクス主義者であったが、アメリカ国籍をとってから転向したと言う。ウィットフォーゲルによると共産主義革命が成功したところにどうしてか東西南北アジアが多いのはこの「アジア的生産様式」にあるという。実際「東側」と呼ばれていたのもそういうことであると。 ロシア、特にソ連はモンゴルと関係付けられていた(モンゴル自体も早い時期から共産国であった)。そういえばレーニンは「遅れたヨーロッパと進んだアジア」「アジアのめざめ」とか日本を「進歩的」「先進的」「偉大」と絶賛していた。 「東方紅」もそうである。「王道」「革命」に影響を与えた孟子は土地共産制を理想とした。康有為・梁啓超・洪秀全は東洋専制的共産主義を目指し、それは毛沢東にも受け継がれている。共産主義の象徴である赤と黄色は中国では国と皇帝をあらわすのである。

レーニンみたいに史的唯物論の三つの起源を言えば
1.バッハオーフェンの母権論
2.モーガンの技術決定論
3.ドブロスのフェティシズム
で構成されている。

1は以前から述べてるが、2のモーガンは先住民の研究で知られるが、科学技術の歴史での役割を重視していた。マルクスはこれに強い感銘を受けてたから唯物史観に影響を与えたのであろう(1もその後である)。3のドブロスは人間関係の考察に取り入れられた。これについては石塚正英さんの著作が一番詳しいかと思われる。