2008年10月31日金曜日

コミュナリズム

元々「コミュナリズム」は地方自治の用語として使われたが、今日であるとあらゆる民族や宗教の対立に当てられる。私はコミュニズムがコミュナリズムであることは無いと考える。コミュニズムは共同体を超えた共同性を求め、それがコミュナルとして限界化したら超越し、止揚しようとする現実的運動であると考える。完全completeも競争competitionも名称が示しているように共同性に関わるのである。マルクス以降のコミュニズムは宗教原理主義者も民族至上主義者も資本主義者も敵にしてきた。それは固有化した既成共同体であるからである。ソ連も硬直化保守化した。これも従来の共産主義国家で言われたcoordinatorsismである。無限の同一共同体(脱皮もし無い)があれば革命も無い共産主義であるが、万物は変化する。革命するのである。変化は固有の自己からすれば「新しい」ことを言う、外部や下部からくる。であるから既成共同体は上部構造化し、階層化する。階級社会は「イデオロギー」という幻の装置で共同性を回復したように見せかけるが、一方のビジョンが抑圧しているのであり、本質が対立しているのである。