2008年2月5日火曜日

マルクスの亡霊たち

マルクスの亡霊たち
ジャック・デリダ
増田一夫 訳
2007 藤原書店

インベーダーはドン・シーゲルのボディ・スナッチャーから共産主義のメタファーでもあった。赤狩りの当時は身近に見えない恐怖が潜み、表面ではわからないから、人々は強迫観念に囚われていた。さらにそれは憑くと言われている(ディズニーは関係があっただけで「感染」を疑われた)。前に言ったボーグとも繋がる、「お前の物は俺の物」だ。古いゲームだが、ロックマンワールド5のマーキュリーみたいなものか(ロックマンで「共産主義」なんて言葉が出たときは驚いた)。マルクスは共産主義を亡霊と呼んだ。ボディ・スナッチャーと亡霊は近い。
ボディ・スナッチャー:恐怖の街
監督:ドン・シーゲル 原作:ジャック・フィニイ
1956

Gespenstは今やロボットだったり、宇宙船だったり、潜水艦だったりと思想とは無関係のようだが、それは深いものがある。デリダもその重要性を知っていたのだ。私はデリダのベンヤミン論は嫌いだが、亡霊に注目したのは流石である。しかし、亡霊はハンターとされているが、むしろスナッチャーだ。スナッチャーだから、共産主義者のスパイがあそこまで暗躍し、共産主義があんなに多くの人々を惹きつけたのではないか。ケンブリッジ・ファイブのように全てがオルグされたわけでもないし、紅衛兵のように全てが洗脳されたわけでもないが、そういう得体の知れないものであることは確かである。