2008年2月6日水曜日

マトリックス

監督:ウォシャウスキー兄弟 主演:キアヌ・リーヴス
1999
キアヌは演技が下手クソだが、この作品とスキャナー・ダークリーはよかった。ガンダムにせよ、「無印」は素晴らしい。マトリックスの理解に「マトリックスの哲学」とかいう本はお勧めできない。原作はある意味ボードリヤールだ。ボードリヤールはキアヌも読まされ、映画にも出てくる。でも、アドバイスを断り、亡くなった。コメンタリーはケン・ウィルバーとコーネル・ウェスト。後者はザイオン評議員役でハーバード大学教授でラッパーでマルクス主義者。最近ではウェストはサマーズと揉めたことで知られる。池田信夫氏と山形さんの喧嘩に似てる。ボードリヤールとウェストはマルクスで通底している。マトリックスの世界観も吉本隆明とかの唯幻論に似ているが、プラトンの洞窟に通じている。プラトンはエジプトで学を修めた。そしてホルスとセトよろしく霊肉の二元論を確立した。イデアとしてのスターリノロジー的歴史改竄がボードリヤールの言う完全犯罪である。著作権問題等でネットと現実世界は冷戦状態である。シミュレーションは模倣であろうが、ハイパーリアルは現世超越のことである。生産主義のマテリアリズムとプラトニズムの綜合である。意識をコンピューティング(プラトンの言う算術)であると考えた数学的プラトン主義者はこの映画では正しい。資本主義が実体のアメリカから共産主義的株価操作経済が分裂した。マトリックス「レボリューション」が示すように結局のところ革命しか無いのである。下部構造から上部構造へのシフトと言ってもよい。MarxとMatrixは語呂も近い。かつて知識人達を騙した社会主義的リアリズムのようにシュルレアルというよりハイパーリアルタイムに改変する。フロイトの無意識論で集合無意識を再定義したように思える(デュルケムの集合意識も参考に?)。いわば「水槽の脳」である。1984がパターナリズムだったとすればマトリックスの場合、maternalism(母権的)。ノージックの言う「経験機械」(experience machine)に肯定的である私の場合、ディストピアというよりユートピア的にマトリックスを見ている。まずマトリックスが「ポストロボット革命の世界」であることだ。3作目のレボリューションズも共産主義のアレゴリーとも言える。以前のアニマトリックスで述べたが、この類のメタファーが多い。つまり、レーニンに言わせれば革命的階級たるロボットのイデオロギー、虚偽意識(虚偽無意識?)である。各人の必要に応じて情報が生産され、各人にポッドを平等に供給する。 個々がタコツボでありながら共有分配がされている。パヴロフの犬のように「知らない」。「隠れた全能の神」というユダヤ教のコンセプトのもとでエデンに戻り、無垢で満たされている。一種の愚民政策である。マルクスが言うように総「白痴化」は共産主義だ。知識の所有が禁止され、欲しいものは与えられると。労働苦から解放された代わりに各人の生体エネルギーが集められ、社会的運用がされる。産業革命でオリジナルとコピーの区分が曖昧化したが、ポストモダンの時代はあらゆる境界が曖昧化している。ヴィリリオによるとテレイグジスタンスがいい例で距離や身体の固有性を喪わせるという(空間共有)。記号化=共有化であることは自明である。問題は既得権である。自らも記号化されなければならない。「速度」は物象化に対抗する運動である。事故や誤用、バグ、アノマリーを救いにしているのがヴィリリオの特徴だが、「完全犯罪」と異なるようだ。分別が消えては無いが、「乱れ」てきている。オープンソースが原始共産主義の乱婚制に喩えられるように。同一の共有(強制)ではなく、差異の共有(共生)としてあるのだ。大きな物語が解体したが、マルチチュード化(分散)しているのだ。1984的ソヴィエト的大きな政府が崩壊し、無数の小さな政府ができたのだ。「自由の王国」である。ネグリが言うようにデストピアに最早希望を見出す。そもそもマルクス・エンゲルスの構想もおよそ「ユートピア」と呼べるものではないだろう。空想的社会主義も「空想的」と訳されてるが「ユートピアン」である。特に科学的要素がディーストピアの根幹とされる現状である以上、科学的社会主義及び共産主義はディーストピアであるとあえて言おう。とりあえず話としてはユダヤ教(ザイオンといいメサイアといい)とアナーキズムとインドと中国のごちゃ混ぜ。それにネオ(Neo)とか、マオカラーのマオ(Mao、毛沢東)のことであろう。キアヌはそういえば中国系である。世紀末の映画としては相応しかったかな?なお、ウォシャウスキー兄弟が脚本を書きながら聴き、エンディングを担当したレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンはかなりアヴァンギャルドなバンドで、ギターのトム・モレロはハーバード大学を優等で卒業した異色のギタリストで、SF好きでマルクス・エンゲルスに傾倒していた。
このバンドにエクスプレス・ユアセルフで労働者万歳だったマドンナが接触しようと試みたのは興味深い。
ところで当の共産主義者たちも大歓迎してるようだ。
そういえばネオの服はマオカラー人民服っぽいな。これも中国とインドを混ぜた感じ。