2008年2月22日金曜日

シヴィライゼーション

サイバーフロント
2006
このシヴィライゼーションは知ってる人も多いが、RPGのParanoiaとともに私が贔屓しているゲームの一つである。Civの経済は実態とはかけ離れている。生産手段が集中的に管理され、必要に応じて計画的に生産と供給がなされるのだ。「能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」(ゴータ綱領批判)という共産主義を実現している。いやMMOもそうだ。そして資本主義も一種の共産主義だ。これはコモンズの悲劇で証明された。つまり、資本主義もアジア的生産様式と同様、原始共産主義の延長にあり、「共有物」という前提で外部経済的に「競争」(搾取と収奪、競産)を認めるのだ。この様式はイオン結合や古典力学に近いだろう。マルクスも言っているが、「算術」はウェーバーが指摘する通り確かにプラトン以来から共産主義的であるが、計算貨幣機能は資本主義にも言えることだ。市場機構という計算価格貨幣機構によって経済主体は完全に情報を共有し、尺度を共有することで共有のもの(貨幣)に置き換え、それらの間での計算を可能にする。そして企業は自らの五カ年計画で動いているのだ。それは人工市場(または合理的期待学派、準マルクス主義者ロバート・ルーカスや「一種の共産主義」と言ったトマス・サージェントなど)にも関係する。「万人に対する万人の闘い」と言ったホッブズも一種の共産主義者である。 ルソーと同じように自然が共有されているものだと認めていた。 人工的機械たるコモン・ウェルズ、これもそのまんま訳せば「共有財産」である。 しかし、古典力学的自然観から共有であるが故に力が及ぶ限り闘うとした。ギリシアの神々の共有地をめぐる戦いを思い起こす。ホメロスでさえ大地はあらゆる者のものである。実はこの世界観はカントにもあったのだ。カントはこれを根源的共有態と呼んでいる。これはよく資本主義者に「機会の平等」と言い換えられるが。スペンサーやミルが共産主義に近かったのも頷ける。この「狭い共産主義」が「広い共産主義」に変わるのが量子物理学の時代だ。共有結合やラジカル反応がわからなかったあの時代、マルクス・エンゲルスが唯物論という科学観を明確にし、資本主義を徹底解剖しつつ、共産主義の大枠しか示さなかったのは正解だ。例え世界がブロッホの言う「実験」だろうと数学的プラトン主義的シミュレーションだろうとコミュニケーションをしていることに変わりはない。コミュニズムは超越的に見ればデミルウゴスの物理世界の無限地獄のようなループだろう。

2008年2月21日木曜日

ユル・ブリンナー

ユル・ブリンナー。アシモフと同じ1920年に生まれ、同じソ連出身である。日本のWikiによるとユダヤ系とある(アシモフもユダヤ系である)。

監督:マイケル・クライトン
1973


これはマイケル・クライトンの監督作品である。これでユル・ブリンナーのファンになった。ロシア系であることもプラスしているのかユル・ブリンナーが演じるGunslingerの醸し出す不気味の谷を前にしてはT-800さえオマージュになるのである(というかターミネーターはハーラン・エリスンのパクリである)。最近はリメイクされる話が出ているが、キャストがT-800を演じた俳優なのだからオマージュ決定である。ゆけ、ウォーズマン!

2008年2月19日火曜日

宇宙空母ギャラクティカ

バトルスター・ギャラクティカが面白い。サイロンがアブラハム的なのは以前触れた一神教とコンピュータ人工知能ロボットの関係からではないか。サイロンはドクターフーのサイバーマンみたいになった方が面白いが。最終回も近いか。

2008年2月18日月曜日

バグズ・ライフ

バグズ・ライフ
監督:ジョン・ラセター, アンドリュー・スタントン
1998
前回のハリウッドとレーニン生物学的分業を止揚せよ!!に絡んで今回はディズニーの昆虫に関する映画。CGも凄いが、階級闘争のような設定と科学的なディティールに私は惹かれた。
バッタはエクソシストにもあるように古くから恐れられている。侵略型宇宙人もイナゴに似ているが、近いのは資本家ではないか。共産主義に触れてそのメカニズムを節足動物にファーブルが見出していたとか(完訳ファーブル『昆虫記』)。そういえばファーブルが蠅(ハエ)を「プルードン主義者」と罵っていた。そのプルードン曰く蟻や蜂に似た集団が共有制(共産主義)だという。ここに私はアナキストとコミュニストの対立を見出す。社会性昆虫も超分業であり、共産主義的群知能だ。それは私が言う超越的存在を置く「本質的」共産主義である。生殖虫が供給主体で、それ以外が平等にプロレタリアート(子すら持たないワーカー)という共産主義である。ソビエト共産主義もそうであった。それは実存的ではない。昆虫が共産主義のメタファーとなったのは「宇宙の戦士」ではないか。アリといえばアリス、アリスの女王といえばアカの女王じゃなくて赤の女王仮説。共産主義であるためには予測し続けなくてはならない、生命体8472に注意せよ!!動物農場の昆虫版があったら面白い。

2008年2月15日金曜日

ハリウッドとレーニン

エイゼンシュタインとハリウッドの密接な関係は知られている。喜劇王チャップリン、アニメ王ウォルト・ディズニーもエイゼンシュタインと親しくし、赤狩りに遭った(だからベンヤミンはディズニーに肯定的だった)。コッポラ、キューブリック、ルーカスなど偉大な映画人にも影響を与えた。しかし、重要な事実がある。「映画の父」D・W・グリフィスとレーニンである。リリアン・ギッシュは自伝の213頁にてレーニンがグリフィスを招き、映画の責任者に任じようとしたエピソードを紹介している。チャップリンはグリフィス、そしてエイゼンシュタインとハリウッドの蜜月の立役者であるフェアバンクス、ピックフォードと盟友であった。

富野由悠季
2002 キネマ旬報社

富野さんも映画のことを理解している。モンタージュこそ映画の本質なのだ。今もソ連の映画理論はハリウッド、世界を徘徊しているのだ。CMもモンタージュである。「2001年宇宙の旅」のタイムスリップのようなシーンもモンタージュである。モンタージュなくして映画なし!!なあ、ゴダールよ。

2008年2月14日木曜日

生物学的分業を止揚せよ!!

分業とは本来経済学的なものである。生物学的な分業とは複数の種が自然界において役割を分担していることだ。生態系においてなぜ分業があるかというと分類と階級(階層)があるからだ。これは搾取や弱肉強食にも関係する。この分類が転覆される時、「妖怪」が出てくる。この妖怪は徘徊する。全ての権力がこの妖怪を退治しようとしている。妖怪はこの革命において鉄鎖のほかに失う何ものをも持たない。彼らが獲得するものは世界である。

突然変異を人工的につくりだしたハーマン・J・マラーはマルクスやレーニン、ダヴィンチ、ニュートンなどをコラージュした人々が数世紀のうちに出現すると予言した。マラーの考えはショックレーなどを惹きつけたが、これは失敗した。

2008年2月12日火曜日

Chernobyl

チェルノイブイリは聖地だ。イーガンやスターリングの小説の名前にもなっている。大前研一じゃないが、メルトダウンとかチャイナシンドロームには興味があった。チェルノブイリは広島や冷戦とは異なったものを与える。

2008年2月11日月曜日

われら

われら
エヴゲーニイ・ザミャーチン
岩波書店
ザミャーチンの「われら」はディストピア文学の古典の中の古典であり、後の「すばらしい新世界」(エレホンの影響もあるが)、特に「1984年」などは多大な影響を受けている。「われら」はチャペックのRURが書かれた年と同じ年、1921年に書かれており、両作品とも共産主義革命の影響があった。「われら」の人々もロボットのように時間律法表に従って動き、浮遊するロボットに監視され、番号で呼ばれ、主人公D-503もその一人である。そこではソクラテスの如く禿げた人物(この時期で禿げた独裁者といえばまだ生きていたレーニンではないか)が支配し、その巨大な鉄の手が全てを操っている。ソビエト宮殿とバベルの塔とバラド=ドゥアディファレンス・エンジンでも述べたが、やはり鉄のカーテンにせよ、鉄と共産主義は合う(サッチャーの鉄の女も元々は東側が呼び始めた)。小松御大の「鉄食人種は共産主義者である」ではないが。テーラー・システムはソ連でも実施されたが、東大のシンポジウムで聞いた話によると、当時20年代初期のソビエトの食料配給にあるとか。人間の食物は燃料だとし、交換可能な螺子としてカロリーまで決定されたのだ。 ところでこの小説にはガスの処刑機械が登場する。「機械」というのもカフカからきている。やはりソ連はガス車があったのか、ソ連にはギロチンもあったが。
レーニンはロシア人であるが、モンゴル系(世界中でもっとも子孫を多く残したチンギス・ハーンの血も?)でギリシャ系でユダヤ系でもある。父親は非ユークリッド幾何学のロバチェフスキーの親友である。神童で全学科全学年で主席、難関試験で134人中1位という成績を残す。兄は政治犯で処刑、「世界を震撼させた十日間」では革命を成功させ、その政治はあらゆる独裁者の手本となった。晩年は正気ではなくなり、車椅子生活となった。

2008年2月10日日曜日

バイオハザードのアンブレラについて

以前エイリアンで生物兵器による危機が疎外にあることを指摘した。私がゲーム好きなことは言った、鈴木史朗や加山若大将じゃないが、バイオハザードをプレイしたことがある。印象的だったのはアンブレラ・クロニクルのセルゲイ・ウラジミール大佐であった。彼は旧ソ連の軍人でアンブレラの幹部だ。ラストエスケープのニコライとは戦友だった。彼が「同志」「粛清」といった言葉を使うのはアンブレラをかつてのソ連と重ねているからではないか。結局アンブレラも崩壊する。ライブドアのようなペレストロイカをする間もなく業務停止で破綻したのだった。そういえばドラゴンボールのレッドリボン軍はロシア人みたいなブルー将軍、人造人間18号のピオネールな赤いスカーフだからソ連赤軍のアレゴリーか、ケピ帽だから違うか。

2008年2月9日土曜日

ディファレンス・エンジン

ウィリアム・ギブソン、ブルース・スターリング著
1993 角川書店

前回はスターリンだったが、今回はスターリング(とギブソン!)である。サイバーパンクの先頭に立ってきた二人の共著でスチームパンクの代表作と聞けば凄いが、知識があれば読める。ディファレンス・エンジンの世界ではマルクスはアメリカに亡命し(ニューヨーク・トリビューン紙の特派員だったから不思議ではない)、「コンピュータの父」バベッジの考えを摂取して科学的共産主義を唱える(実際資本論はバベッジに依っている)。スチームパンクと共産主義は近いということか。共産主義の象徴だった鎚や歯車、デバイダはスチームパンクの趣向にも合う。たしかに今も昔も共産主義はレトロフューチャーのようなものだ。メタルギアのグラーニンが「時代を動かす歯車」という表現を使っていたが、「歴史を動かす歯車」みたいな台詞は革命の必然、決定論的な唯物論を信じる共産主義活動家が好んで使う(他にも「鉄の規律」など)。歯車は共産主義やプロレタリア、社会主義の象徴でもある。中国やベトナムの国章、アンゴラなどの国旗、日本共産党の党章、アメリカ共産党(CPUSA)の党章にもあしらわれている。私の世代では歯車といえば銀河鉄道999の機械化帝国である。メーテルはロシア帽を被ってるロシア美女、銀河鉄道はシベリア鉄道のようなものだからソ連のアレゴリーではないか。機械化帝国があるアンドロメダ星雲はエフレーモフなどの小説で馴染み深い(このブログの名もそういう意味でつけた、アンドロメダ星雲はあの野口悠紀雄先生も読んでいる)。機械化帝国もソ連のように飢餓の克服のために楽園にするのが、結局は拉致も処刑もしまくり、理想を謳う憲法も有名無実な独裁制、ディストピアになる。プロメシュームの顔が強調されるのは、ちょうどスターリンの見ているようなポスターやビッグブラザーと同じことだ。自分の身内に容赦しないのもスターリンと同じだ。「永遠の命」があるせいで働く意欲が喪失されているのは、国有化と保障のせいで働く意欲が喪失したソ連の計画経済と似ている。経済的には機械化の強行を工業化にすれば似ていなくもない。異なるのは機械化帝国は飢餓を克服できた点だ。私はゲームが好きでメタルギア、鋼鉄帝国のファンであるから五芒星や歯車ときたら興奮する。鋼鉄帝国に出てくる独裁者もまたサウロンであった。ゲーム脳を唱えた森教授はソ連がつくったからテトリスは兵器だと言っているが、それなら革命が起きるだろ。X-Playでロシア的倒置法が出てきたがあれは革命前夜なのか。ロシアでは、ゲームがあなたをプレイする!!

ソビエト宮殿とバベルの塔とバラド=ドゥア


ソビエト宮殿は若干違うがバベルの塔やロード・オブ・ザ・リングのバラド=ドゥアと似ているではないか。
そういえば、オールマルクス、別世界通信や批評で指輪物語のサウロンはスターリンというものがあった。トールキンは政治的に読まれることを嫌ったが、たしかに「鉄」のようなサウロンとスターリン(鋼鉄の人)は似ている。サウロンもスターリンもエスからエヌだが、サタンも考えられる。指輪だからソロモンかもしれぬ。シオンかも。バベルの塔といえばネブカドネザルだが、神学校を出たスターリンは自らをサルゴン(エスからエヌ)に重ねていたのかもしれまい(そういえばサダムフセインもスターリンを尊敬していたが関係があるかも)。軌道エレベータもバベルの塔に似ている。ユダヤ人に対しても共にセム民族でもユダヤ人を重用したり恐怖して捕囚したところも似ている
(強制移住という手法を好んだ点も)。コンペに応募したのはソ連の御用建築家たちと、フランスとドイツを代表するモダニズム建築家のルコルビュジエとグロピウス、新即物主義のペンツィヒ、「コンクリートの父」のペレなどと豪華である。ルコルビュジエやペレは他の権威的な建築活動に直接関わったが、これだけの建築家が集まったのもまだアヴァンギャルドなものがあったからではないか。バウハウスの2代目の校長はソ連に亡命した。国際連合本部ビルを設計し、計画都市ブラジリア公共建築の中心人物だったニーマイヤーも共産党員だった(国連初代事務総長トリグブ・リー自身がボリシェヴィキ革命の熱烈な支持者なのだが)。丹下健三もマルクス主義に一時は傾倒し、ルコルビュジエ案を見て建築家を志した。故黒川紀章や磯崎新、安藤忠雄も社会主義、毛沢東、ゲバラに関心があった。そもそもモダニズム建築の源流はマルクス主義者だったウィリアム・モリスが率いるアーツ・オブ・クラフツにある。この運動にアール・ヌーヴォー、アール・デコ、ドイツ工作連盟などは影響を受けた。

2008年2月7日木曜日

手塚治虫は史的唯物論者という仮説

鉄腕アトムはアストロボーイになってることは知られてるが、お茶の水博士はプロフェッサーになっている。今回は手塚治虫と日本共産党の関係について拾った。ARTIFACTの昔の記事やWikiに色々書かれている。手塚は一見矛盾した発言を同日にしているそうだ。
日本共産党の党大会「これからは人間みんな平等な環境にならなければダメだと思います。」

自由民主党の党大会「今の世界自由競争が第一になくてはならないと思います。」

このダブルスタンダードは青木雄二みたい。青木の手塚治虫文化賞(手塚賞とは違うよ)の受賞は手塚先生が亡くなった後なので関係ないが、史的唯物論者だったという仮説はどうか。手塚先生はメトロポリスに見られるように階級闘争をある程度理解していたのではないか。それに共産党シンパでもそこまで騒ぎ立てることはない。宮崎駿だって赤旗で連載をしていたのだ。藤子不二雄同志も毛沢東に関心があった。というか、漫画とは関係ないが安部公房も小松左京も佐野洋(シンパ)も共産党だった。黒澤明も元々は日本プロレタリア美術家同盟の人で、史的唯物論の漫画化を実現した白土三平の教え子だった。これは建築家の丹下・黒川・磯崎、さらに最近では安藤がマルクス、ソ連、ゲバラ、毛沢東に興味を持っていたのと似ている。今はハインラインみたいになっている豊田さんも松本さんも関係があったような。それにしても火の鳥の未来編に出たようなコンピュータやドラえもんがあれば共産主義ができるのにな。いや火の鳥自体がソ連のせむしの仔馬に影響を受けてるのだが。

2008年2月6日水曜日

マトリックス

監督:ウォシャウスキー兄弟 主演:キアヌ・リーヴス
1999
キアヌは演技が下手クソだが、この作品とスキャナー・ダークリーはよかった。ガンダムにせよ、「無印」は素晴らしい。マトリックスの理解に「マトリックスの哲学」とかいう本はお勧めできない。原作はある意味ボードリヤールだ。ボードリヤールはキアヌも読まされ、映画にも出てくる。でも、アドバイスを断り、亡くなった。コメンタリーはケン・ウィルバーとコーネル・ウェスト。後者はザイオン評議員役でハーバード大学教授でラッパーでマルクス主義者。最近ではウェストはサマーズと揉めたことで知られる。池田信夫氏と山形さんの喧嘩に似てる。ボードリヤールとウェストはマルクスで通底している。マトリックスの世界観も吉本隆明とかの唯幻論に似ているが、プラトンの洞窟に通じている。プラトンはエジプトで学を修めた。そしてホルスとセトよろしく霊肉の二元論を確立した。イデアとしてのスターリノロジー的歴史改竄がボードリヤールの言う完全犯罪である。著作権問題等でネットと現実世界は冷戦状態である。シミュレーションは模倣であろうが、ハイパーリアルは現世超越のことである。生産主義のマテリアリズムとプラトニズムの綜合である。意識をコンピューティング(プラトンの言う算術)であると考えた数学的プラトン主義者はこの映画では正しい。資本主義が実体のアメリカから共産主義的株価操作経済が分裂した。マトリックス「レボリューション」が示すように結局のところ革命しか無いのである。下部構造から上部構造へのシフトと言ってもよい。MarxとMatrixは語呂も近い。かつて知識人達を騙した社会主義的リアリズムのようにシュルレアルというよりハイパーリアルタイムに改変する。フロイトの無意識論で集合無意識を再定義したように思える(デュルケムの集合意識も参考に?)。いわば「水槽の脳」である。1984がパターナリズムだったとすればマトリックスの場合、maternalism(母権的)。ノージックの言う「経験機械」(experience machine)に肯定的である私の場合、ディストピアというよりユートピア的にマトリックスを見ている。まずマトリックスが「ポストロボット革命の世界」であることだ。3作目のレボリューションズも共産主義のアレゴリーとも言える。以前のアニマトリックスで述べたが、この類のメタファーが多い。つまり、レーニンに言わせれば革命的階級たるロボットのイデオロギー、虚偽意識(虚偽無意識?)である。各人の必要に応じて情報が生産され、各人にポッドを平等に供給する。 個々がタコツボでありながら共有分配がされている。パヴロフの犬のように「知らない」。「隠れた全能の神」というユダヤ教のコンセプトのもとでエデンに戻り、無垢で満たされている。一種の愚民政策である。マルクスが言うように総「白痴化」は共産主義だ。知識の所有が禁止され、欲しいものは与えられると。労働苦から解放された代わりに各人の生体エネルギーが集められ、社会的運用がされる。産業革命でオリジナルとコピーの区分が曖昧化したが、ポストモダンの時代はあらゆる境界が曖昧化している。ヴィリリオによるとテレイグジスタンスがいい例で距離や身体の固有性を喪わせるという(空間共有)。記号化=共有化であることは自明である。問題は既得権である。自らも記号化されなければならない。「速度」は物象化に対抗する運動である。事故や誤用、バグ、アノマリーを救いにしているのがヴィリリオの特徴だが、「完全犯罪」と異なるようだ。分別が消えては無いが、「乱れ」てきている。オープンソースが原始共産主義の乱婚制に喩えられるように。同一の共有(強制)ではなく、差異の共有(共生)としてあるのだ。大きな物語が解体したが、マルチチュード化(分散)しているのだ。1984的ソヴィエト的大きな政府が崩壊し、無数の小さな政府ができたのだ。「自由の王国」である。ネグリが言うようにデストピアに最早希望を見出す。そもそもマルクス・エンゲルスの構想もおよそ「ユートピア」と呼べるものではないだろう。空想的社会主義も「空想的」と訳されてるが「ユートピアン」である。特に科学的要素がディーストピアの根幹とされる現状である以上、科学的社会主義及び共産主義はディーストピアであるとあえて言おう。とりあえず話としてはユダヤ教(ザイオンといいメサイアといい)とアナーキズムとインドと中国のごちゃ混ぜ。それにネオ(Neo)とか、マオカラーのマオ(Mao、毛沢東)のことであろう。キアヌはそういえば中国系である。世紀末の映画としては相応しかったかな?なお、ウォシャウスキー兄弟が脚本を書きながら聴き、エンディングを担当したレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンはかなりアヴァンギャルドなバンドで、ギターのトム・モレロはハーバード大学を優等で卒業した異色のギタリストで、SF好きでマルクス・エンゲルスに傾倒していた。
このバンドにエクスプレス・ユアセルフで労働者万歳だったマドンナが接触しようと試みたのは興味深い。
ところで当の共産主義者たちも大歓迎してるようだ。
そういえばネオの服はマオカラー人民服っぽいな。これも中国とインドを混ぜた感じ。

月は無慈悲な夜の女王

ロバート・A・ハインライン
矢野徹 訳
1976 早川書房

私の好きなロバート A. ハインラインの名作。アメリカ革命、ロシア革命、メキシコ革命が関係していて、モルゲンシュタイン、クラウゼヴィッツ、マキアヴェリ、ゲバラの戦略が影響している。ソ連が解体した後はロシアSF賞を受賞した。「Tovarishch」や「Pravda」などと旧ソ連・ロシア語の慣用句や文法が多く見れる。リバタリアンのハインラインも革命に興味があったってことか。

He supported himself at several occupations, including real estate and silver mining, but for some years found money in short supply. Heinlein was active in Upton Sinclair's socialist End Poverty in California movement in the early 1930s. When Sinclair gained the Democratic nomination for governor of California in 1934, Heinlein worked actively in the unsuccessful campaign. Heinlein himself ran for the California State Assembly in 1938, but was unsuccessful. In later years, Heinlein kept his socialist past secret, writing about his political experiences coyly, and usually under the veil of fictionalization. In 1954, he wrote, "...many Americans ... were asserting loudly that McCarthy had created a 'reign of terror.' Are you terrified? I am not, and I have in my background much political activity well to the left of Senator McCarthy's position."http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_A._Heinlein
宇宙の戦士で右翼だのタカ派だの叩かれ、ロボコップの監督に散々にされたハインラインにもそういう過去があったのだ。アシモフによると、保守的になったのはハインライン夫人のせいだとか。ガンダムも間違ってなかったってことか。矢野さんは知らなかっただろうね。

ロボット兵器

T-800はT-80の進化系であると言ってみる。スカイネットの審判の日もソ連が核実験に初めて成功した8月29日だ。レッドブルで共産主義者を熱演したシュワもカストロの葉巻を好み、ケネディ像と共に尊敬するレーニン像を持っているという。ウォーズマンじゃないけど。オブイェークト

これは皮肉である。ロボット兵器だけではない。特に日本では偏った情報が散見される。学会では偏った情報を鵜呑みにしたり撒き散らす馬鹿は処分されるが、学会の外にいるので勝手放題だ。まず、ロボット兵器はアメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、ソ連にもあった。アメリカは1910年代にはオートパイロットの軍事用ロボットをテストしている。1898年にはテスラがラジコンボートを実験しているのだ。そしてイギリスとドイツは1940年代であり、それぞれ歩行ロボット、自走爆弾などである。ソ連は無人戦車Teletankを開発し、実戦に投入した。ウリナラ起源というかテクノナショナリズム、偽史プラウダめいた議論はいい加減にした方がいい。コンピュータ開発史やエジソンの議論も未だに収束していないようにこれは学問の発展を阻害する。科学史や技術史には普遍法則があることを忘れてはならない。

2008年2月5日火曜日

ヴァリス

フィリップ・K・ディック
大滝啓裕 訳
1990 東京創元社
またあの数字だ。Ken MacLeodの馬鹿馬鹿しさに匹敵する。気になるのは冒頭の「大ソビエト事典第6版」のヴァリスの説明。

巨大にして能動的な生ける情報システム。アメリカの映画より。自動的な自己追跡をする負のエントロピーの渦動が形成され、みずからの環境を漸進的に情報の配置に包摂かつ編入する傾向をもつ、現実場における摂動。擬似意識、目的、知性、成長、環動的首尾一貫性を特徴とする

やっぱり大ソビエト事典だからマルクス主義的悪文。小説も批評もトンデモだが、まだ理解しきれてない部分があるので結論はやめとく。さて、今回紹介する映画は語呂が似ている。
監督:ジョン・ブルーノ
1998

ターミネーター2やT2 3-D: Battle Across Timeでデザイン(スタン・ウィンストンの方が上)に参加したジョン・ブルーノはこれで監督をデビューし、ティペット御大が監修している。主演のカッコイイ女性は「ハロウィン」のトニー・リー・カーティスで、ユダヤ人二枚目俳優トニー・カーティスと絶叫クイーンのジャネット・リーの娘だ。電磁波生命体がロシアの宇宙ステーションから調査船の工作機械をハックしてノイマンマシン化、アルゴリズム進化するというお話(トランスフォーマーに似ているか)。嵐で通信に障害がでたため、世界中をハックできなくなる。最後はエイリアン・クイーンのようにスーパーロボットで襲ってくる。メッセージは陳腐だが、「お前らは菌(ヴァイラス)だ、平和の邪魔になるから我々の体の一部になれ」である。この言い草何に似てるでしょうか?どっちがウイルスなんだ。さて、次はディックに関連した映画である。
スクリーマーズ
監督:クリスチャン・デュゲイ
原作:フィリップ・K・ディック
主演はロボコップのピーター・ウェラー、原作はディックの「変種第二号」である。ディックは妻が左翼で社会主義者でも、どんな全体主義も同じだと一刀両断している。ロン・ポールみたいなリバタリアンになればよかったのだが、ユナボマー級のNGをしてしまった。ディックの作品はマルクス主義者たちに好まれた。それはディック自身の言葉で語れば「私は共産党員ではなかったが、しかし基本的には資本主義に対してネガティブなマルクス主義的な視点がある。」からだ。映画では原作の冷戦から企業と労働者の戦争という構造になっている。私が記憶を最後の私有財産と主張するのはディックの影響(トータルリコールとか)もある。誤解されているが彼はサイバーパンカーではない。 後、これもよく誤解されているが
、ロボコップはロボではなくてサイボーグであり、ターミネーターでカイルはT-800をサイボーグと言ってるが、厳密にはロボットである。キャメロンよ、勉強してこい!

マルクスの亡霊たち

マルクスの亡霊たち
ジャック・デリダ
増田一夫 訳
2007 藤原書店

インベーダーはドン・シーゲルのボディ・スナッチャーから共産主義のメタファーでもあった。赤狩りの当時は身近に見えない恐怖が潜み、表面ではわからないから、人々は強迫観念に囚われていた。さらにそれは憑くと言われている(ディズニーは関係があっただけで「感染」を疑われた)。前に言ったボーグとも繋がる、「お前の物は俺の物」だ。古いゲームだが、ロックマンワールド5のマーキュリーみたいなものか(ロックマンで「共産主義」なんて言葉が出たときは驚いた)。マルクスは共産主義を亡霊と呼んだ。ボディ・スナッチャーと亡霊は近い。
ボディ・スナッチャー:恐怖の街
監督:ドン・シーゲル 原作:ジャック・フィニイ
1956

Gespenstは今やロボットだったり、宇宙船だったり、潜水艦だったりと思想とは無関係のようだが、それは深いものがある。デリダもその重要性を知っていたのだ。私はデリダのベンヤミン論は嫌いだが、亡霊に注目したのは流石である。しかし、亡霊はハンターとされているが、むしろスナッチャーだ。スナッチャーだから、共産主義者のスパイがあそこまで暗躍し、共産主義があんなに多くの人々を惹きつけたのではないか。ケンブリッジ・ファイブのように全てがオルグされたわけでもないし、紅衛兵のように全てが洗脳されたわけでもないが、そういう得体の知れないものであることは確かである。

2008年2月3日日曜日

エイリアン

私が言うエイリアンというのはあのち*こ頭の宇宙人の映画でもなければ、お*り頭のニコチャン星人でもなく、エイリアネイション(疎外)のことだ。全人類にとってこれは最大の問題である。これらを提示したマルクスたちを本当に尊敬する。ハイデッガー本人曰く「世界内存在」「故郷喪失」というものはマルクスが疎外論で既に発見していたという。核戦争や宇宙人、ロボット、未知のウイルス、テロリスト、サイコキラーに襲われる恐怖はすべて疎外に収斂できる。これらへの対策は反銃規制やスターウォーズ計画のような防衛構想、ロボット工学三原則といった形であらわれるが、それでいいのか。疎外と闘える人々、つまり、良心ある女性、医者、ジャーナリスト、軍人、科学者は作品の中での話である。疎外は必然的なものである。もし核戦争の危機があったらシェルターで生き残るのは「政府、大富豪、カルト、ゴキブリ」だ。やはり下部構造から上部構造にシフトしない限り問題は消えない。疎外を無くすには共産主義しかないのだ。

2008年2月2日土曜日

すばらしい新世界

オルダス・ハクスリー
松村達雄 訳
1974 講談社
ボカノフスキー。ロシア系といえばこれか。時計じかけのオレンジでもルドビコの権威としてブロドスキーというロシア系がでてくる(さらにアレックスたちはロシア語に似た英語を使う)。これには唯物論的な研究、この場合、行動主義や条件反射学しか許されなかったソ連の生理学に対する欧米の見方が影響している(日本のガンダムのミノフスキーはちょうどツィオルコフスキーのようなものと脳内補完)。つい最近、「クライシス・オブ・アメリカ」でリメイクされた「影なき狙撃者」もそういう内容であり、共産中国の「洗脳」とも結びつく(後はハーバードやイェールで教鞭をとったロバート・ジェイ・リフトンが詳しいので読んでやって)。さて、すばらしい新世界で崇められるフォードはソ連やドイツとのスキャンダルで有名だ。1932年発表当時のドイツはヒトラーが首相になる前、つまり、ヒトラー内閣ができる1933年1月より前なのでワイマールであるが、私はフォードがなぜ反ユダヤ主義的だったのかが気になる。「国際ユダヤ人」というト本によると、フォードはユダヤ人の本質を私利私欲と見ていた(ただし、この本には反論がでている)。これが本当だとすればマルクスやある論理学者にも通じる。フォードが社会主義者やリベラルと親しかったのも事実である。戦後もフォード財団が世界各国で社会主義政権や社会主義的政策に関与し、ダレスや冷戦外交やマッカーシズムの邪魔になったことを考えれば納得する。コジェーヴは「マルクスは神、フォードはその予言者」と言ったが、すばらしい新世界ではGodがFordになって、マルクスは主人公になっている。この小説の科学的なアイディアの多くは以前に紹介したJBSホールデンにある。ソ連と関係があった兄ジュリアンに比べ政治的ではなかったオルダス・ハクスリーがマルクスやレーニンをネタにするのもホールデンの影響か。

スタートレック

新スタートレックやデータ少佐は知っているから、現在は宇宙大作戦を少しずつ観ている。スタートレックもマイノリティを差別しないところでインデペンデンス・デイと同じである。カーク船長もミスタースポックもユダヤ人であり、ウフーラは黒人である。

たしかスラッシュドットでビル・ゲイツがボーグになってたような。ビル・ゲイツの買収したり潰すというアメリカ人が抱くイメージは同化したり潰すボーグと重なるが、ボーグには特許法も著作権もなく全情報を共有するからビル・ゲイツに言わせれば「共産主義」になる。やはりビル・ゲイツもストールマンが言ったように共産主義者なのか?