2008年7月30日水曜日

妖怪は眠らない

レーニンがガラス張りのケースで眠り、ハイゲイト墓地にマルクスが眠っている。木端微塵にされかけたりしたわけだけど、ここにはマルクス以外の偉人もいる。物理学者のファラデー、モリアーティ教授のモデルとされるワース、そして「適者生存」で知られる新自由主義の祖スペンサー。この魂たちがどういう議論しているのか想像したいものだが、難しい。しかし、「吸血鬼」や「墓堀人」(共産党宣言の)といったワードからはやはりマルクスを思い起こす。

「マッドサイエンティスト」をつくったフランケンシュタインのシェリーと「コンピュータ」をつくったバベッジ。その間にいる世界初のプログラマとされるエイダ。そしてバイロンのラッダイティズム(機械の破壊への快感も危うい)。シェリーに「神への挑戦」を教えた無政府共産主義の先駆者ゴドウィン、バベッジやユアら蒸気の権力者たちに影響されたマルクスの機械や技術へのフェテイッシズム(最初の技術クリティーク)。セム族の商人たちの製鉄法でできた産業ゴーレム、その魔術の亜種である錬金術によるフレッシュゴーレムたち(ゲーテのホムンクルス、フランケンシュタインの妖怪、唯物論者老ロッサムのロボット)。前者と後者はユダヤ映画人ラングのメトロポリスの星の印を以て結び付けられたと言えよう(このことに関しては以前の貨幣プロレタリア文学はものすごいで書いた)。また、フランスの場合、ボードレールやヴェルヌらの系譜からリラダンのロマン的ダンディ的機械主義(アンドロイド)が生まれた。私は「亡霊」「怪物」「妖怪」(Gespenst)というものが好みだが、共産党宣言を読んだ時の衝撃を忘れることができない。ゴジラのように怪獣がヨーロッパの伝統を蹂躙していく姿。

「ヨーロッパを妖怪が徘徊している。共産主義という妖怪が」
「近代ブルジョア社会は、自分の呪文で呼び出した地下世界の魔物をもはや思うようにできなくなった魔法使いに似ている」(byマルクス)

この戦慄する宣言の技術はガルブレイスが「不確実性の時代」で言っているように未来派宣言やクリプトアナーキスト宣言、今日まであらゆるアジにとり憑き、コピー再生産され続けている(マニフェストテクノロジー)。プロレタリアは新しい階級であったが、モーロックのように新しい種族でもあった。ヴィリリオが言うようにプロレタリアも近代の所産であり、科学技術が生み出したのだ。資本主義が労働者の個性を剥ぎ取り、試練や力を与えることが、むしろ組織化を可能とするとマルクスたちは述べる。つまり、妖怪とは「アンチヒーロー」である。さらにシオニズムの父モーゼス・ヘスがマルクスの友人だったようにヨーロッパじゃユダヤ教とマルクス主義は不可分である。ベンヤミンやブロッホがその神秘主義と史的唯物論、ネグリがマルクスとスピノザを結びつけたり、デリダがマルクス主義のメシアニズムに注目したのもそうだろう。マルクス主義の起源がユダヤ教にあることはベルジャーエフもよく言っていた。セム族の歴史も資本主義や世界の文明化の歴史と大きく関係がある。だからマルクスが宗教社会学をしていたように研究すべきである。デリダが言うにマルクスには「不老不死の論理」がある。それは永遠の命を持つ貨幣や機械のように自己完結した「固定資本」である。これを熔かすことができたのが金融だった(ユダヤ的錬金術)。金融資本が産業資本を支配するというマルクスの考えは明らかにその出自(ユダヤ教)から得たものだろう。マルクスは金融の利子計算に代わる算術を求めた。これは大枠しか示せなかったが(これが計画経済の根拠に)、共産主義が計算可能性に大きく依存するのもマルクスたちに始まったことではなく、ピタゴラスやプラトンの計算主義、快楽計算に遡る(そしてセム族のバビロニアの算術とカバラ、エジプトで接したユダヤ教的一神教的考え)。ドラッカーは共産主義も資本主義もヴェニスの商人のように抜け目が見られない「経済人」を理想としているとしたが、これは正しい。そしてヘーゲル哲学の閉鎖系は結果的にスターリン主義やファシズム(ジェンティーレがまとめた)をもたらした。さらに人工市場の実験で自己完結型の市場像が終焉し、中央計画経済(市場社会主義)の可能性が閉ざされる(しかし、マルクスも進化論を積極的に学習し、進化経済学に貢献したように複雑系に通じる部分がある)。母胎(工場)を共有することも重要性が消え、機械生産から生物生産(人工生命)へと移る。マルクスは「機械の中の幽霊」(物憑き)から脱出せず、これを手におえなくなるものとして考えた。資本主義は主人と奴隷の弁証法的に疎外を生み出すから自らの矛盾によって崩壊する。それが交換手段(貨幣)の反乱(恐慌)であり、生産手段(機械)の反乱(ストライキや生産力の反乱)、そしてプロレタリアの反乱という暴力の連鎖である。マルクスがいた産業革命の時代、「フランケンシュタインコンプレックス」が、特に亡命先のイギリスで席巻していた。マルクスはバベッジから機械制大工業を研究したのだが、その周辺にシェリーのフランケンシュタイン、バイロンのラッダイト主義があったのだ。「臍の緒を断ち切る」プロレタリアはまさにフランケンシュタインのものである。そこではパリコミューン等の失敗した革命家や反乱者の呪怨が投影され、20世紀初頭に世界を震撼させるロシア革命として実った。祖国を持たない労働者に人工的に故郷をつくってしまったソビエト連邦。それは今で言えばイスラエルに似ている。当時ロシア人は「半分人間」として嫌われた。さらに党の幹部とかにはユダヤ人が多かった。戦争によって生まれたソ連であるが、さらに戦争と革命をもたらし、力をつけてついに超大国にいってしまうのだから、その作用と反作用を含めて世界に残した痕跡はこの先も癒されないだろう。一方、マルクスも形而上学的妖怪と資本の亡霊を追う余り、自らもその亡霊に憑かれてしまった。反共主義者も強迫的にマルクスの亡霊たちであり、共産主義と大して変わらない(マッカーシズムがその典型)。転向した人々も本質は変わっていないように思える(例えばネオコンがそう)。

「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。」(byニーチェ)

ミイラ取りがミイラになる。レーニンはミイラになってしまったけど(フランケンシュタインのようにレーニン蘇生計画とういうものがあったが、テルミンにレーニンが言ったように共産主義は電化である!として直流を考えたのだろうか)。